読解力、理解力を鍛える?(と言って良いのかわかりませんが)にはど...
読解力、理解力を鍛える?(と言って良いのかわかりませんが)にはどのようにすればいいでしょうか。
長編の小説や漫画を読み終わった時、または映画やアニメを見終わった時に「で、結局どういった意味だったんだろう」と話がよくわからずに終わってしまいます。
後から人の書いた考察、解釈、レビューをみて「あ、そういう事だったんだ」とやっとわかるという…。
なぜ私にはそれがわからないのか…。
よくpixivの長編小説も読むのですが途中でよくわからなくなってしまうことが頻繁にあります。
読解力の問題なのかはたまた脳がおかしいのか…単に理解力がないのか…。
何か思うところあれば教えてください。
みんなのコメント
慣れていないだけではないでしょうか??
作品にもよりますが、色々な考察ができそうなものは確かに何回か見たり読んだりしないと分からないことがあります。
もしそうではなく、ほぼ全てにおいてそうであれば、たくさん見たり読んだりして鍛えるしかないと思います。
とりわけ小説はその慣れが必要だと思うのですが、初めて読んだ時は理解できなくても、その人の癖や思考に触れるうちに、「あれ?この前は分からなかったけど、今日は読める!分かる!」みたいな瞬間はどこかでやって来ると思います。
トピ主さんは物語に対して受動的なのだと思います。
考察や推理って文章の一つ一つを丁寧に読み解いて、そこから可能性を導き出すという能動的な作業だと思うんですね。
そういうのが好きな人は本当に好きだから勝手にやっていると思うのですが、考察するのが好きでもなければ深く考えずに与えられた情報だけを見ている方が遥かに楽です。
読解力の有無というよりは、理解しようとする気持ちがあるかどうか、能動的に思考を働かせることを面倒がらないかどうかの違いではないでしょうか。
鍛えるためには受け身でなくなることが大事かと思います。
具体的には一つ一つの場面を自分の頭の中で思い描きながら作品を読み進めるよう意...続きを見る
私も、難解なSFなどに多いんですが「で、結局この話なんだったの?」ってなることが多かったです。
それで気付いたのは「木を見て森を見ず」になってることが往々にしてあるな…と。
後々に例える話に合わせるなら「枝葉末節に囚われる」の方が適切な表現だと思います。
物語・ストーリーはよく1本の木に例えられることがあります。
例えば「勇者が魔王を倒しに行く話」が大筋の幹であり、
そこに枝葉として「通りがかった町の騒動を解決する」とか「山賊を改心させる」とか「災害に巻き込まれて村人に助けられる」とかがあるわけです。
主人公たちの敗北や挫折は幹が何かにぶつかって横にそれる、どんでん返しは幹がね...続きを見る
いつもとても鋭い考察をされる方が「文にするまでは思考が存在しない」といった旨の発言をされていたことがありました。
頭にはぼんやりとした感想しか浮かんでこなくても、文章化することで整理されることはよくあります。また、文にすることで自分の考え方のクセや成長を客観的に捉えられるようになります。人の考察を見に行きたい気持ちをぐっと堪え、まず書き出してみるのはどうでしょうか。
作品を見る・読んでいるときに、ご自分の心が強く動いたシーンを見つけたら「どうしていま感動した/ハラハラした/萌えた/面白かったんだろう?」と考えると良いかもしれません。
レビューを見れば映画の着眼点が増えるので、それを応用していけば色々な事に使えますよ。
なるほど、そういう事か、を覚えておいて似た作品を見たらそれが使えないか試してみる。
そうすると視野が広がります。
後は知識経験の量ですね。初めて見るものは認知するのが精一杯です。
でも予め知っておけばおくほど意味や考証の理解が深まります。
なのでそのまま映画を見続けレビューを読むだけでも大丈夫です。
作者が何を言いたかったか、分かるようになると楽しいです。
しかも好きな映画だと何度見ても、見方を変えて見ることができ、詳細に覚えてきます。
するとものづくりにも役立ちますよ。
好きこそものの上手...続きを見る
皆さんいろいろと教えていただきありがとうございました。
これからは教えてもらったことを意識しながら作品を見てみようと思います。
時間はかかるかもしれませんが自分が納得するまでやってみます。