トピ主が話していらっしゃるのは「自分より上手い人への嫉妬」ではなく、「プロの道を選べるほど上手いのにプロの道を選ばなかった人の『余裕』への嫉妬」では? それにトピ主はご自分がビギナーだとは言っていないように思いますが…。
自分はいわゆる創作系のお仕事を発注する側の人間です。 正直なところ、プロとして安定してお仕事をお願い出来る方は、腕前以上に「クオリティの乱高下がないこと」「〆切を守ること」「仕事と一定の距離を保ち、自分ひとりで何もかもコントロールできると思い込まないこと」、以上の三点が信頼できると思っています。 上手い人がプロの道ではなく安定した勤め人の道を選ぶのが悔しい、というお話だと思いますが。上の3つがうまく出来なくてプロを断念する人はたくさんおられますよ。トピ主さまが羨ましがっている中にも、実はプロを目指して断念された方が混じっているかも知れません…。(と、考えたら気持ちが切り替わったりはしないでしょうか?)
完成品のクオリティは素晴らしいものの、かなりの遅筆で毎日最低3時間は作業時間を取っていても4ページのモノクロマンガを仕上げるのに2ヶ月近くかかり(描き込みが多いから、という訳では無いです)、プロデビューはおろか同人誌の発行すらできないという知人がいます。 別の知人は、商業作家ではあるもののそれだけで生活をすることが出来ず、会社勤めをしながら漫画を描いています。彼女も筆が早い方ではなく、原稿料を作業時間で割り、時給換算したら最低賃金の3分の1になるそうです。 更に別の知人は、二次創作のイナゴ絵師をやって同人誌の売り上げである程度の収入を得ています。子供の頃から引きこもりでずっと漫画だけを描き続けていたため画力は申し分ないです。しかし、社会との関わりも漫画以外の趣味もないため、オリジナルでストーリーを作るための引き出しがなかったり、想像だけで描いてへんてこな話になってしまいます(ぼかしますが、一般事務の社員で一日中社内にいたのに「直帰してきた」と言って家に帰ってくる等)。そのため、一度商業媒体で声がかかったもののまともな話のネームを出すことがいつまで経ってもできず、商業デビューの話が流れました。 いろんな人がいます。SNSで見えるのは極一部です。泥臭い努力や喜ばしくない事情は表に出していない人は多いですし、見栄を張るために嘘をついている人もいます。けれどそれは一見してわかるものではありません。 ですから、SNS上でのその人の姿をみて嫉妬することにあまり意味は無いと思います。 同じ嫉妬でも、「この人は私の苦手な〇〇を描くのがとても上手い、悔しいからもっと上手くなりたい」という嫉妬なら、ご自身のモチベーションや技術向上に繋がるのではないでしょうか。
自転車は漕ぎ始めが一番労力がかかり、大変です。 トピ主さんはいま漕ぎ始めたばかりで、車体のバランスを取るためにちょっと不格好になってるだけです。 車輪が回り始めて軌道に乗れば、そういった体裁などは気にならなくなるのではないでしょうか。 上手い人への嫉妬は、私もあります。 ただ自分は「じゃあ、そこまで辿り着いてやる」と負けん気で挑みたいと思っています。 料理してる人は、美味しい料理を食べた時に「旨い!これ自分でも作ってたいな」と考えるものです。 そしてレシピを考えたり聞いたりして、自分のものにします。 絵描きも同じだと思います。 上手い絵をみたときは「上手い!自分もこういう絵を描いてみたいな」と考えて、それを行動に移していくことで自分の血肉に変えていけば良いのかな、と。
絵や漫画ではありませんが、クリエイター系の仕事をしております。雇用形態こそ正社員ですが、僭越ながらプロとして一線に立たせていただいております。 トピ主さんは実力とその基となる才能こそがプロたらしめる要素と認識されているように読めたのですが、プロであることについての考え方を変えてみるのはいかがでしょうか。 (トピ主さんの目指す業界の者ではありませんので私の考え方が参考になるかはわかりませんが、いくらか書かせていただきます) ・私はプロであるという事を自分がユーザーに与える影響全てに責任を負うことと考えています。その考えを前提に、実力はあれど安易にその道の職を選択しないことを英断と捉え、一層身が引き締まる思いです。 ・少なくとも私たちの業界では個々の実力で恩を売るような制作はしておらず、ユーザーの人生をより良いものにすることを主としています。 個々の実力がユーザーの目に見えるということはユーザーに提供する品質に差が生まれるということで、一概にいいとは言えません。 実力の有無とプロであるかはあまり関係ないとする考え方もありますので、いずれにせよ他人の実力を気にする必要はないと思います。 (クリエイターの個性に伴うユーザー嗜好とは全く観点の異なるお話です。誤解を招きましたら申し訳ございません。) ・「安泰な勤め人」という表現に一寸違和感を覚えます。 プロであるということはユーザーありきということになります。そして想定するユーザーとは実態を伴っている必要があります。 このご時世、安泰な人生、ましてや職業なんてほぼあり得ません。存在し得ないユーザーを(大小はあれど)意識して制作に励んでも、届くべく作品も届かなくなってしまうのではないかなぁなどと感じました。抽象的ですみません… 長々と語ってしまいましたが、今一度プロであることについてトピ主さんご自身のお言葉でお考えになることを提案いたします。 私の言葉だけでなく、インタビューやドキュメンタリーを拝見する、異業種交流会に参加するなど、さまざまな意見に触れることをお勧めできましたらと思います。 トピ主さんにとって納得のいく答えが見つかりますよう、陰ながら応援申し上げます。