まあワンピースの作者も一番最初に描いた漫画はボツでしょ
価値があろうが無かろうが自分が一番楽しいから問題ない!!
お気持ちすごくわかります。それでも続けるのは描くことをやめられないから、それのみです。負の感情が湧いた時も、それでも創作をやめられるという選択肢はないから…と思うと、なんとなく諦め?がつくような、そんな気分になるので、やめられないということを強く自覚して続けています。
確かに売れるものを作れる人でも百発百中ではないんでしょうね……。
これ自体は本題とズレますが、確かに自分自身も特にいなくても誰も困らない人間だよなあ……とは思ってますね……。正直、(自分の創作物に対して)創作することや創り上げられたこと自体が喜ばしいことであるという意識は乏しいですし、まだその境地に至れていません。でも、イメージの出力作業の過程で私が救われていることは事実なので、それ自体は意味があることなのかなと思います。やはりネガティブの元を断つのは気分転換ですね。
自分もそう本気で思っていて、トピック本文のような思想の入り込む隙がなかった時期はあったので、その時期と今と何が違うのかなというのは考えてみたいと思います。
なるほど、制作や投稿を上達のためのプロセスだと考えるのですね。私も推しの理想の絵を描きたいと思っていますので、上達して十分に自己満足できるレベルに到達できればこのような悩みも無くなるかもしれません。参考になります。
やっぱりその精神が創作意欲の原点ですよね……!
自分もCP要素のあるイラストを描くことがあるのですが後で見返して楽しくなるというのは確実にありますよね。過去の自分に救われてるところはありますね。
創作物の受け手にとって価値がなかったとしても、創作は消費活動として誰かに利益をもたらしているということですね。イラスト用のパソコンとかソフトを購入してやっているので確かにそれらの販売会社からしたら利益が出ていますね。受け手にとってどうなのかという観点で考えてしまっていたのですが、広い目で見れば全くの無価値というわけでもないのかなと思えました。
個人的にはネガティブな気分と体の調子に相関はあまり感じないんですが、感じてないだけでネガティブになる時は単純に体調があまり良くなかったり疲れがあるという可能性はありますね……。大体睡眠を挟んだら気分が変わることが多いので早めに就寝してしまうのがいいんでしょうね。
未来の自分のために創作するの、わかります。時間経ってから見返すと面白いのも同じです。私が「ま、いっか」と思えない時は多分他に何か原因があるのでしょうね(体調不良とかストレスとか)。自分が見て楽しいのが第一で、もし他人にも楽しいと思ってもらえたら万々歳、くらいの気持ちでいるのがいいのかなと思いました。
興味を持っていないものには価値を感じづらいというのは、確かにそうですね。自分の創作物に興味を持っていいねしてくれた人がいるということは少なくともその瞬間は価値を感じてもらえていたということなんでしょうね……。
創作の過程自体を楽しめたのであれば、自分の精神衛生に貢献しているということになりますし、それは喜ばしいことですね。どうしても結果として完成したものだけに目を向けがちですが確かに楽しんで描けたのならそれ自体が良いことなので実践してみたいと思います。
こういうことを考えながらも創作自体をやめていないのは、自分にもまだやりたいという気持ちがあるんでしょうね……。おそらく、私の場合はそういったシンプルな「やりたい」という欲求が今そこまで大きくなくなってきている(からこういう発想が出てきた)のかなという感じはしました。
お気持ちすごくわかります、私もとあるジャンルで絵師をしていますが、次々とそのジャンルが広まり絵師の人口が増えていく度、どんどん自分の居場所が失われている様な感覚の後『別に私が描かなくたって、誰か他の人が描いてくれる…、じゃあ頑張ったって仕方ないな』と思ってしまう時があります。そう思うと本当に孤独で、創作活動自体が苦しくなってしまいます。 なので私は最近、誰かの為ではなく『自分の私利私欲の為に描く!』と言うことを念頭に置いています。自分の為に描けば、誰を気にすることもありません。居場所が失われていると思うこともありません、自分の為に、いいねやリツイートは私と同じ考えの人が広めてくれている、自分(と同じ考えの人)が増える!と考える様にしています。 自分自身が価値を見出せば己の創作物は無駄にはなりません!誰かを思うから自分採点で価値を下げてしまうのだと今は思っています、創作くらい自己中でいきましょう。 長文失礼しました!!論点がずれていたらすいません!
自分と創作物って似てると思う。 例えばトピ主にとって、私はこの世に存在しなくても良い人間じゃん。(影響がないという意味で) でもこの世にいる。それって素晴らしいことだよ。この世に生を受けたからこうやって推しに出会えて楽しく過ごしてる。 私の作品も同様に、この世に存在しなくても良いじゃん。 けど、私が作り出し、現実にこの世界にある。 それが素晴らしい。創作への努力、私の想いが目に見える形として表出する唯一のものだよ。誰の目にも見えないものが、誰かに伝えられる形になったの。サイコーじゃん。 創作楽しい! と個人的には思ってますが、まあトピ主のようにネガティブな気持ちになることもあります。 そのような時は創作をとりあえずやめてカラオケに行き大声をだしジムに行き汗を流したらふくご飯を食べ入浴し念入りなスキンケアをして寝ます。 翌朝、何を悩んでいたのか忘れます。
俺が俺の創作を待ちのぞんでいる 俺は俺の本が読みたい
何のために創作をするのか、を今一度突き詰めて考えてみられてはいかがでしょうか? 交流のため、 承認欲求を満たすため、 自分の中に萌える情熱の発露の手段として、 技術を内に溜め込むため、 ……人により、様々な目的があると思います。 そして目的があるのなら、そこに向かって突き進むのは良いことなのですが…… トピ主さんは、他人に必要とされる事が目的で創作をしているのかな。 最初からそうでした? 他に楽しみはありませんでしたか? 宙船という歌にもありますけど、他人に自分のオールを渡すのは危険です。ましてや顔も名前も知らない、圧倒的多数の人に自分の心を預けるなんて無謀すぎます。
こんにちは、私も自分の創作は価値があるものと全く思っていない者です。今自分がいるのはとても大きなジャンルの一番人気カプで、プロもゴロゴロいる界隈です。 自分はその中の中堅といったところでしょうか… なので私が創作を辞めたところで上位互換は山のようにいらっしゃるし誰も困らないと思っています。(口には出しませんが) ただそれでも描き続けているのは、自分がうまくなりたいからです。理想の推しを自分で生み出せるようになりたいからです。理想の推しを描きたいだけならSNSにあげる必要ないと言われそうですが、画力をあげるのに人の目はとても有効だなと思っています。 トピ主さんがおっしゃるような「折り合い」とはちょっと違うかもしれませんが…このように開き直っている描き手もおりますということで。
創作物が受け手にとってどれだけ価値があるかなんて誰にもわからんよ。言ってしまえばただのビットマップの集合体なり印刷物だし。でも、それに付随するあなたという物語には価値があるんでないか。あなたの作品を見た瞬間の、いいねしてくれたその人の時間には価値があるんでないか。 あなたがそんなものはどうでもよくて、自分の創作物の価値だけを量りたいというなら、何故その価値を求めるのかを考えてみたら良いのかもしれない。それはあなたの心だからだろうか。それとも誰かに向けた言葉だからだろうか。独特の考えの元に描かれたものだからだろうか。それがあるのなら、伝わる人には伝わっているのではないか。 少なくとも、いいねをして貰ったのだから、してくれた人がその時間、脳のリソース、感情を割く程度の価値はあったんだと思うけどな。 価値なんて流動的なあやふやなものだから、気にし始めたら終わりはないと思う。答えもないと思う。例えば数万フォローの神絵師の絵が流れてきて2秒で流れていく。すげーなって思うけど2秒しか見ない。でも、フォロワーがああでもねーこーでもねーとウンウン言ってた絵とか、1ヶ月連続練習を欠かさず行ってた絵は応援したくなるし、ひとつひとつ頑張れ!っていいねする。凄いな、尊敬する!って。そして自分もやるぞって思う。その時の私の価値は、例えば神絵師の神絵より練習してるフォロワーの絵のが上だ。 価値ってそのくらいのものだよ。 鬼滅の刃読まなくても生きていけるし、一方でクラスメイトのなんでもないラクガキに触発されて将来漫画家になる子だっていると思う。
分かります。 今、まさに誰にも望まれていないんじゃないか?のループ渦中におります。 でも基本的には自萌えタイプなので、私の推しカプ、私が増やしたわー!と思える日が、また来るはず!と思って耐えています。
わかります。しょっちゅうそういうこと思います。 そういうの突き詰めてくと「結局死ぬのになんで生きてんだ?」になるから適当な位置で止める癖をつけるといいと思いますよー。もしくは「死ぬまでの暇つぶしは楽しいほうがいいじゃん?」ってテンションになれるといいと思います。
トピ主さんが二次創作する目的は何か、それを明確にしてみると、凝りをほぐすヒントになるかもしれません。 今内容を拝見した中から抽出した部分なのですが ①自分の創作に自身がない ②自分の創作が必要とされていないことに虚しさを感じる ということについて。 手っ取り早いのが、作品上げるたびに適切に創作物を褒めまくって自分に配慮してくれて、自尊心を取り戻してくれるような素敵な人が現れることなのですが、そうもいきません。 他人は自分の思うように動いてくれません。 で、ここから最初に戻るんですが、二次創作したくなった理由って他人由来でしょうか。 他人からの評価が欲しくて二次創作を始めたのであれば今の状態を脱するのはそれこそめちゃくちゃ褒めてくれる人が現れないと厳しいかもしれませんが、 例えば原作を読んでここがこうなってたら!という願望で創作を始められたのであれば、原作をもう一度、最初から読んでみるのって結構アリかなぁとか。 私もそのような状態になった時、他人の作品を読むのも辛くなりました。 他の方が楽しそうにしてるし、上手いし、私なんてと思いました。 でも、原作を読み直してみると、推しの最高さを再確認しました! そして、界隈では見かけない解釈とか……。うわ、こんなとこもあったなぁとか! そうそう、○○はこうだよね、と。○○の○○な所がかきたい!となりました。 で、また創作してます。 長々と書き連ねてしまいましたが、私の場合の創作復帰理由は、 他人の反応は自分ではどうしょうもない所があるので、原作と自分と一対一の時間を経て、自分がどうして二次創作始めたのか思い出して(推しの○○が見たい!私がかかないと!)、と、また復帰したってかんじです。 一度アカウント消してみるのもいいですよ! そして、かきたい!と心から気持ちが湧いてきたらかきましょう! 私は、推しの魅力と、推しが○○してるとことか、好きなファッションさせたり、もっとかいてみたいです! 周りの人より、推しのこと考えるようになったらきっとその悩みは解消するかなって個人的に思いました。 結論、推しへの情熱、推しへの愛が世界と私を救う……
そこまで言われるならトピ主さんの創作物に価値が無いのは本当だと思いますが、 だからこの世に存在してはいけない、と決められたものでもありません。 別の角度から言えば、作品そのものには価値が無いとしても それに伴う行動は世の中のためになっているのではないでしょうか。 >>私の二次創作には金銭が介在していない そうはおっしゃいますが、デジタル機器で描くのならPCや タブレットメーカー、イラストソフトメーカーなどの利益になりますし ネット通信を使うなら通信会社の利益になります。 二次創作をする上でトピ主は利益が無くとも、そのおかげで誰かが潤っています。 アナログならば当然画材メーカーの利益になります。 そういう事じゃないんだよと思われるかもしれませんが、 作品に存在意義を見出せないのなら あらゆる点で自己肯定をしていくしかありません。 なんなら本を作れば印刷会社が儲かりますし、イベントにでれば 交通機関やイベント会社に利益があります。 それだけでも創作自体は無価値ではありません。 自分の作品が好きで、それに伴う事が少しでも利益を生むのなら それで充分生産的な趣味なのではないでしょうか。 自分が飽きたらきっと止めると思うので、 「無価値なんだよなあ」と思いながらでも続けられるうちは やって損は無いと思います。 技術だってあってこまるものでは無いですし、そのうちどこかで 役に立つときが来るかもしれません。 人生何が起こるかなんて死ぬまで分かりませんから。 なんだかまとまりのない変な回答かもしれません。 不快に思ったらごめんなさい。
精神論云々の前に、疲れてるとそういったネガティブが発生しやすいと思いますので、まず生活の乱れまたは生理前かなって考えますね〜。食事をとり、よく眠り、気掛かりをさっさと片付け、ネットから離れ、暖かくして過ごします。 アホみたいな話ですが、体調整えるとほぼネガティブな気分が解決するのでご参考までに。
めちゃくちゃわかる〜……!自分か?と思うほど考え方が似通ってる ただ自分は恐らくトピ主よりとても脳天気なので、大抵のことは「ま、いっか!」で済ませちゃいます なので「自分より上手い人もセンスがある人もわんさかいるし、例え自分が投稿しなくなっても誰も困らないし悲しまない……けどまあいっか!」となります たぶんそれは私もトピ主さん同様に自作品が好きだからです。完成してすぐはあまり見返すことはないんですけど、時間が経ってから過去作を見ると解釈一致すぎて楽しいです。「他人にとって価値はないけど、未来の自分のために創作する」が私の基本原動力になっています 「せっかく完成したしとりあえず誰かも楽しんでくれよな!まあ後で一番楽しむのは自分だけどな!」くらいのラク〜な気持ちで、トピ主さんもこれからもどんどん創作続けてほしいです
ものすごく、わかります。私も自身の創作物は他人様にとって無価値であると確信しています。なんなら実際、「気持ち悪いから消せ」といった手痛い指摘をいただくこともあります。ツイ垢は削除撤退済で、今は支部にて細々、皆様の作品と並ばないようタグをつけずにひっそり生息しています。 創作活動をする理由は千差万別と思いますが、自語りで恐縮ながら、私の場合は「どうしても、この二人をもっと書きたい」でしかないようです。極論誰に見てもらえなくても構わないし、公開をやめても構わない。ただ、ローカルにだけ置いておくとうっかり消したり消えたり取り出せなくなったり……ということが多くて(両刀ですが、小説はスマホのメモ帳が一番使いやすく、しかし過去に何度も中身が真っ白になってます。絵はクラウドにデータを入れてるから大丈夫ですが、これも数年ごとにPCが壊れてヒヤヒヤするので)手軽なバックアップ場所が欲しくて投稿を始めたという経緯があります。 ここを見ていると、トラブルの際ジャンル移動を勧められる方が多いのですが、書きたいのがこの原作のこの二人だけである自分はどうしても他の何かを書けそうになく。心ゆくまで、満足するまで自CPを書き続けるのだろうと思います。手前味噌ながら私も、自分の作品を読み返すのがとても好きです。 時々無性に寂しくなるし、私が居なくてもいいなとは常々思いますけれども、最後の最後に残るのは自CPが好きという気持ちと、書きたいという熱なんだなぁと感じています。 今度、今まで書いた小説の一部を本にすることを決めました! やはりお金をいただくに値するとは思えないので、一般頒布はせず、こんな私と仲良くしてくださっている数名の方にだけ匿名配送でお送りする予定です。(匿名配送について調べていたらcremuに辿り着きました。過去トピ参考になりました!) 折り合いというのとは違うかもしれませんが、本になった自作品を見たら、これまで書き続けてきた自分を少し労ってあげられるのではないかな、なんて思っています。
完全な自萌型なので、他人にとっては全く無価値だろうなーとは思いつつ、自分の意欲が続く限りは創作するかー…という感じです 例えネット環境が、死滅したとしても、アナログで誰に見せずに創作し続けると思います
そうですよね。元々自分のためと思って描いていたんですが、次第に自分自身が自分の創作物に価値を感じられなくなってきていると感じています。これは考え方が他人主体に寄ってしまっているのが原因ではあるかもしれないなと思いました。 いいねとリツイートをしてくれた人が自分と同じ考えという感覚はあまり無かったのですが、確かに自分と同じ感性を持っている人がいる(増える)と考えると少し前向きになれる気がします。
どれかと言うと、自分の中にある感情の発露が目的だったと思います。自分は自分の作るものが好きだったはずなんですが、最近は「誰も(もしかしたら自分自身すらも?)望んでないものを作っても何も意味がないよなあ。どうしてこんなことしているんだろう」と思ってしまうことが多くなりました。 理由としてはTwitterという媒体の性質もあり、どうしても他人と評価を比べてしまうというところもあったのかなと思います(単純に描いているジャンルへの熱が落ち着いたというのもあるかもしれません)。でもやっぱり自分を軸にしないと精神が持ちませんよね。
受け手として、媒体を問わずすごく心に残っている作品がいくつかあり、そのように誰かの心に残れるような作品は間違いなく価値があるものだと考えています。自分はそういう意味で価値のあるものを作りたかったんだと思います。確かにそのような価値を外部からうかがい知ることはできないですよね。 「完全上位互換が他にあるし、自分の創作物に価値はない」と考えていたため、完成品の出来栄え以外のところに価値を感じるという考えには至りませんでした。
性格として元々極端な思想に走りがちなところはあるのかもしれません……。突き詰めてもどうしようもない話ですよね。どこかで割り切ってしまうしかないんでしょうね。
元々、自分が自分の創作物を好きでありさえすればいいというタイプだと思っていたんですが、やはり他人がクオリティの高いものを作り上げて評価されてるのを見て羨ましくなっちゃったんだろうなあとは感じています。 今よく描いてる原作がゲームでして、原作のスクショを見返すとやっぱり原作の推しが一番魅力的だなと思います。そこまで明確なストーリーの描写があるゲームではないのですがキャラクターのセリフはかなり多いので原作の描写に改めて触れるというのはいい手段だなと思いました。 Twitterに依存しているのでいきなり断つというのは難しいかもですが、どうしてもメンタルの不調が治らない時は一旦離れてしまうのもいいかもしれません。
確かに私も創作自体をやめることは(今のところですが)選択肢にありませんでした。私の場合は好きだからというよりも自分の好きなようにやって自分で好きになれるものが作れる、また他人に「いいね」と思ってもらえる唯一の分野だからというしょうもない理由なのですが……。 どうせやめられないんだから、くらいの気持ちでいるのが良いのでしょうね。
他人に攻撃的されてしまうとしんどいですね……。屈せず創作を続ける原動力はやはり創作自体に対する意欲なのですね。自分もローカルのデータに何かあった時にという意味合いで投稿してる側面はありますね。 数年前、過去に二次創作していたジャンルでイベントに出て本を出したことはあるのですが(その時は小説でした)、正直「自分はイベントに出たり、自分の創作物を物理本にすることにそこまで大きなこだわりはないようだ」と思ってしまったんですよね。でも自分の創作物が物理的な形を持つというのは感慨深いものがあったのを覚えています。データでも見返すと「こんなに描いてたんだ」と思うことがあるのでそれを物理で感じるというのは精神安定を図る方法としてはありだなと思いました。
誰にも見られなくても自分のためだけに描くというのは、個人的に理想の形ですね。今の自分が「ネット環境がなくなっても自分のために描く」とまで言い切れるか正直自信がありません。私の場合公開して人目に触れるようにしたことで欲が出てきてしまったのかなという感じはあります……。 自分で自分の創作物を好きでいられれば、それが活動意欲につながるのでしょうね。
皆さま回答いただきありがとうございます(まとめてのお礼で恐縮です)。いろいろな考えをお聞きできて大変参考になりました。 また本文について共感の声をいただき、こういう感情を抱いてしまうのが自分だけではなかったことがわかり救いになりました。 以降も「自分はこうしてる(こう思う)」というのがあれば書き込んでいただけますと幸いです。
大抵のものは興味のある人以外には無価値なものです。どれだけ売れている名作であってもどうでもいい人にとっては必要ないものですから。 ただ、トピ主さんの作品が存在することによってちょっと楽しい気持ちになる人はいるかもしれません。 たとえその作品を見た、たった一瞬だけであっても「あ、これ素敵」と思っていいねを押す人がいるかもしれません。 次の瞬間もう忘れてるかもしれないし、トピ主さんが作品を全消しして去ったとしても気付かないかもしれません。 それでも確かにそのひと時、誰かになんらかのアクションを起こさせたんです。 それで十分なのではないかなと自分は思います。
トピ主さんの言われること伝わってきます。自分も他人には価値ないなと日頃から思っていますから。 山のように上手な人がいてその中で上手いか下手かでみれば自分のは必要がないでしょう。けれど自分にその趣味が価値があって楽しければいいのでは。 創作と括らずにアマチュアでもなく趣味の話にすれば趣味なのだから楽しければそれでOK。だと思ってます。 楽しさにも、趣味がお金になるから楽しいもあるし、趣味で人と繋がって友達ができるから楽しいや、時間の潰しや、精神的な安定で楽しいなど、楽しさもそれぞれなので自分がどの楽しさを持ってもいいとも思います。 まず最初にそう自分が考えていて、評価があればそれはとても嬉しい事なので感想など頂いたときは「ありがとう」と伝わるように表現しています。 価値は他人が決めるのではなくて自分が決めるものだと思っています。せっかく自分の創作物なんですから描いた作品に自分は楽しんで描けた。と褒めてあげましょう
これは私の経験則ですが「作品を絶対誰にも望まれてない」というのは分からないと思うんですよね、慰めではなく事実として。例えば私は特に人気って訳でもない二次創作家ですが、あるジャンルの小説を投稿していた時に毎回反応貰う事もありましたが、ある日を境に無くなりました。 じゃあその方が読まなくなった・望まなくなったかというと分からない。単純に飽きたのかもしれないし、展開が好みじゃなくなったのかもしれない、反応が面倒なだけで読んでるかも、そもそもアカウント消したとか?色々可能性があります。 だからトピ主さんの作品も、本当に望まれてるか望まれてないかなんて分からないと思います。ブクマ1つとっても「後で読む用」「めっちゃ刺さった!」「一応ブクマしておくか」「私はこの作品を待っていた!!!」等色々理由があって、どれくらいの熱量でブクマされたかなんて作者には分からないんですよね。 だから私は、私の作品が誰かに望まれてるか望まれてないかは分からないけど、私が見たい・読みたいのは当然として「誰かに刺されば嬉しいなー」って思いながら投稿してます。全く反応のない作品に数年後反応あった等もあるので、未来で誰かに刺さるといいなーと思いながら残したりしています。 逆に私が滅茶苦茶好きだけど全然評価されてない作者さんという例もあるので、自分がネガティブになり過ぎない様に気を付けてます。というのも、もしその作者さんが「私の作品は誰にも望まれてない」と考えてしまったら私はとても悲しいし、私が気付いていないだけで私にそう思って下さっている方もいるかもしれないからです。もちろん、いないかもしれないということでもあるのですが。長文失礼しました。
確かに、いいねやブクマという結果だけではしてくれた人の内心がどうだったのかというのはわからないですね。pixivに投稿したものはものによっては投稿から時間が経っても反応があったりするのでその点もわかります。公開している以上、思いもよらないタイミングで好反応を貰えることもあるんですよね。 作品としての出来栄え(イラストの技術の高さ)が劣るから自分のイラストをあえて好む人はいないだろうと思っていたのですが、私自身技術がプロレベルというわけではなくても印象に残っていて好きなイラストというのはありますので、もしかしたら私のイラストを見て同じように思ってくれた人もいるのかもしれないということですね……。
価値がないなと思う時はわたしにもありますが、そういう時は子どもの頃にひとりでお絵描きをしていた気持ちを思い出すことにしています。 少なくともわたしの場合は、誰かに見せたくて描いていたのではなく、「なんかよくわかんないけど楽しい」とか「わたしはこう思う」とか「こういう絵があってほしい」って気持ちでした。 最近では、他の誰から価値を見出されなくても、それをわたしが作った事自体は事実としてわたしが知ってるし、まあいっか〜!って気持ちもあります。価値は人や時代によって様々に変化しますが、描いたという事実はいつ何時でも揺らぎません。 描いた絵の上位互換は沢山あっても、「これはわたしが描いた」という事実だけは互換しようがないので…… 実績解除みたいな感じですね
二次創作どころか自分自身生きてる価値すらないと思ってます。でもめちゃくちゃポジティブ人間なので、そもそも価値がないってダメなことじゃなくね?!となります。 死ぬ時に、何だかんだ人生楽しかったな!と思えればそれでいいと思っています。 物凄い価値のある物を生み出した、価値のある人間だった。でもつまらなかった。 意味も価値もなく、生きてる価値すら無かったけど、それでも楽しかった。 このどちらかなら、圧倒的に後者がいい!と思っているので、私の二次創作なんて無価値だし、生きてる価値もない人間だけど、私が私のために楽しいを満喫出来たらそれで人生大勝利やろ!と思ってます。 無価値って何が悪いの?って説明出来ないしなぁと。
こういう絵があって欲しいというのは、今の私の創作の原動力でもあります(自分の絵柄で見たい、あるいはこのシチュ等を他で見かけないから自分で描くしかないという動機で描くこともあるので)。それを改めて思い出すというのは良い方法ですね。 確かに「自分が描いた」という事実は、価値云々よりよっぽど不動の事実ですし、不確定なものを拠り所にするよりそういった確実な事実の方を見た方が良いのでしょうね。
人生についての考え方は、私の考えも似通っているなと感じます。おそらく今後も人生で何か価値のあることができるわけではないでしょうが、それで生きてちゃいけないということにはならないですもんね。 私も主観で楽しい人生を送ることが第一だと思っていたのですが、自分に置き換えて考えてみると、たとえ主観でつまらない人生だったとしても、価値があるものを生み出せた方が良いかもしれない……と思ってしまいました。これは自分主体で考えられていない(他者評価に依存している)ということなのでしょうね。 元々創作自体自己満足で、自分が楽しむ動機で始めたはずだったので、改めてそこに立ち返ってみるのもいいのかなと思いました。
やりたくなくなったらやめようと思っています。 だけどまだやりたいから続けているだけですね。 創作を続けるか決めるのは他人からの評価や言葉でなく自分の判断で、自分で責任を持っているから不必要でも面白くなくても自分がやりたいならやり続けるだけです。
自分はただの趣味で描いているので、他人に期待していません。 自分の絵を待っている人がいなくても、なんとも思いません。 描けば描くほど自分のスキルが上がるので、描いているだけです。 それに対して、どんな評価があるのか参考までに知りたいので SNSに載せています。 反応があれば嬉しいですし、なくても気にしません。 自分のために描いているのなら、他人のことはどうでも良いと思います。 他人の評価が気になるということは、他人の顔色を伺って創作活動をしているのですかね? その負のスパイラルから抜けるためには、他人を気にしない、他人に期待しないことが一番だと思います。
悪い意味で他人におもねって、好きじゃないけどウケそうなものを描くというのは絶対にしないと決めているんですが、それでも多少は評価を貰えているからこそ無駄に期待を抱いていた(高望みしていた)というのはあるのかもしれません……。 こちらのコメントはそういう趣旨ではないかとは思いますが、考えてみれば私の実力からしたら分不相応なくらいに評価はもらえているなと思いました。それについては純粋に喜び、創作意欲とは切り離して考えるのが良いのですね。