あまり気にならないです。たぶん二次の外で自己肯定感を得られているからです。 家族、友人、恋人、仕事など、ほかのものに打ち込めれば…
幻覚の共有が出来ないことは寂しいですよね。わかります。 しかし低浮上だとしても繋がってる人に理解者が居るならばそれは幸せなことです。
ひたすら自分の作品だけ見てます。 「そうそうこれだよ、これが読みたかったんだよ!この作者わかってるね~!まあ私なんだけどね!」と心中でブツブツつぶやきながらニヤついてます。
こう言うと引かれそうですが、私は自分の解釈を文章にし、それを声に出して読んだりしてます………。 すると脳がバグってきて、その自カプ解釈を誰かと対談/議論している感覚に陥ります。 自分がどうしてそのカプが好きなのか、そしてどうしてその解釈に至ったかという理解がどんどん深まってきます。 恐らく、トピ主と私がそういった寂しい時、一番は他人からの共感を得ようとしていると思うのですが、 他人から自分の考え(解釈)の共感を得るためには、その考え(解釈)という情報リソースが沢山ないと始まらないと思っていて、 現状、自分の解釈を誰かと共有できていないというのとは、プレゼン不足、情報共有不足であると考えます。 そして、それを手っ取り早く誤魔化す上に自分のためになるのは、自分の好きなソレへの理解や知識を深く自分の中に根付かせることだと思います。 作品を作るのが一番ではありますが、 自分の考え(解釈)をその作品に盛り込むのは、やはり情報リソースを盛り込む必要があり、 そしてそのリソースをたくさん入れるには、自己との議論の上、解釈を深め、他人へ波及出来るくらいの細かなリソースを自分の中から拾い上げるのが大事だと思います。 そういうわけで、他人の作品から合うものを探すよりも、自分の中から拾い上げた要素を他人へ波及するため、大きな独り言を呟くことが多いです。 あ、独り言は….実際に声に出した方が効果あります……誰にでも合うかはわかりません…。
多い解釈に沿えたことも、誰も居ないことも経験したことがありますので気持ちはわかります。ただ、両方知って感じたのは「全く同じ解釈のひと」は存在しないことですね。そして、自分は自分、他人は他人、違ってそれでいいということを学びました。 大多数にいたって孤独は変わりませんよ。右に習えして安心したがる人は上手な人が絶対と思っているからです。その方が楽なんですよ。でもそうじゃないから人は創作をしようとするのではないかなと。ここで注意なんですけど ・誰かを従えようとする深層心理を知る ・他者依存を知る トピ主さんは違うと言いたいかもですけど、結局自分の解釈を誰かに認めてほしいという心があるから少数になり苦しんでいるのではないでしょうか。自分が認めてあげればそれでいいだけなんですよね。私は解釈自体もう持ってないです。「こうあるべき」が一番無駄だからです。大手さんの解釈が幅をきかせていたら「今こういうのが流行ってるんだ~なるほどな~つまり、ウケるってことね」と知識として利用する。でも自分はこっちのほうが好きだなあ~って創作する。 そもそも原作者さんの解釈が正解なんです。身も蓋もないですけど。だから全員、妄想してるだけ。感受性の強い創作者さんにとっては仕方の無い事ですけど感情に左右されすぎてます。少数派で何が悪い?トピ主さんがその考え方が好きな事は何も悪くない。そして流行ってる解釈が違うことも悪い事じゃない。 人の数だけ考え方が違います。好きに創作していいんです。人を攻撃したり足を引っ張りさえしなければ。 トピ主さんが大多数の解釈で傷ついてしまったように、トピ主さんの悪気の無い解釈で誰かが傷ついたことがあるかもしれない。わからないですよね?お互いさま精神ですよ。
前コメにもあるけど自分の作品でめちゃめちゃ満足感を得るように脳を調教します。 でもそれをし過ぎると奇跡的に現れた解釈一致の他人様を「私の生霊なんじゃないのか…?」などと思い始めますのでやりすぎには注意です。
自作をキッカケに「この解釈いいね」と気づいてくれる人が出てきたら最高だけど、そこまで行かなくても「いろんな解釈で作品を作っていいんだ」という空気の演出?に役立っていると思って淡々とやってます。「このキャラはこうだよね!」が定番化しているジャンルで淡々と真逆解釈をupしているのですが、あるときフォロワーさんに「あの解釈じゃなくてもいいんだと勇気をもらって作品を作れました」とお礼を言われたことがあります。 あと、そのときはウケなくても何年か後に「これで目覚めた!」と自作をツイートしてもらっているのを発見したことも一度だけありました。残しておいて良かったなぁと心底思いました。 トピ主さんの解釈の作品はトピ主さんにしか作れません。応援してます。