その気持ち自体は決して悪いものでは無いと思います。葛藤の中、とてもよく悩まれたことだと思います。 創作をすることは気持ちの整理にも繋がると思います。捨てることも出来ない想いなら、創作をしても良いのではないかと思います。 でも創作とネットに公開することは分けて考えた方がいいと思います。どんな想いも、表に出さなければ誰を傷つける訳では無いと私は思います。自分の心の底の気持ちを無視することは、あなた自身を無視することです。とても悲しいと思いますよ。 なので創作はするとして、それは公開せずに、気持ちが落ち着くまで自分のパソコンまたは携帯にしまっておくのはどうですか?
私も同じことで悩んだことがありますので、トピ主さんのお気持ちわかります。すごくジレンマを抱えてしまいますよね 思考を変える、とまではいきませんがそのジレンマを抱えることが二次創作する代償なのかなと思うようになりました 人間は多面的でグラデーションがあって、白黒つけられるほうが稀です。感情と理性の狭間で揺れ動くのは三次元の人間も二次元のキャラクターもよくあることです。この揺らぎを抱えていこうと思うようになり私は二次創作を続けています まずは揺れ動く自分ごと受け入れてみてもいいかと思います また自己満足の極みですが、私は公式や原作者にコンテンツに関するファンレターを送っています。漫画原作なのですが、便箋を買い編集部の住所を調べて投函する。綴るのは当然ですが純粋な原作への愛と感謝です。 手間をかけて送られてくるアナログ手法でのファンレターというものはそれだけ根強いファンがいることの指標になるそうです。 自己満足ですがこれで少し、罪悪感が薄れました。トピ主さんのジャンルが何なのかはわかりませんが、必ずお客様窓口というか、意見を伝えるところは用意されているはずです。もしよかったら試してみてください。 私みたいな人間が他にもいらっしゃることを知れて、嬉しかったです。トピ主さんの気持ちの落としどころが見つかって、原作も二次創作も楽しめる日が来ますように
あなたみたいな誠実で真摯に原作と向き合ってる、原作愛のちゃんとある人に辛辣な意見は書けないよ…私もめちゃくちゃ気持ちわかるし。 私の場合は、そのカプの創作をするのを辞めて、他のジャンル(公式がファンアート大歓迎しているジャンルです)で他人のファンアートを眺めて毎日これいいね!好き!って思った絵や漫画にいいね爆撃しつつ、ごくまれにファンアートを投稿してるよ。 トピ主も一旦推しカプを描くのをお休みして、別の腐妄想を一切しない聖域的な?ジャンルで健全原作寄りファンアートを描いてPixivとかに上げてみたらどうかな?割と見てくれて、感想くれる人いるよ。ただし感想は原作やそのキャラに関する感想が9割だけどw(つまり絵に関しての感想はほぼない)
しんどいまま活動してます。そういう割り切り方をしました。 ただ、二次界隈では一切しんどいことを言わない、楽しい面だけ見せることにしてます。
あるある。 原作を少年のような純粋な気持ちで楽しみ、主人公の勝利を願い、すべてのキャラクターの描かれた以上の恋愛は考えもつかない自分と、推しカプの過去も現在も未来も捏造しデヘデヘしている己が同居しています。 たまに己の中の原作愛な自分が腐妄想にドン引きしています。 原作が公式、そして己の考えるものは完全に妄想!絶対に事実じゃない、私の妄想!と割り切ることにしています。 妄想だから好きなことを考えていいということにしていますが、公式の2人が本当に付き合ってるとかは思いません。 汚れているのは己だけ。だからこそ、内心の自由は許すことにしています。
自縄自縛というやつですね。 「こうあるべき」「~するべき」など、「べき論」で物事を考える人が陥りやすいです。 例えば「ファンなら公式にお金を落とすべき」という主張は、間違ってはいないし正しいかも知れません。 しかし、もしそう言っていた人が突然500万円の借金を背負ってしまったら? 趣味にお金を費やしている場合ではありませんね。 では、お金を趣味に使わなくなったら最早ファンではないのでしょうか? 例えば「絵描きなら常に新しい題材で描くべき」という主張は、成長したい絵描きには有効な主張です。 しかし、既に持ってる技術で気軽に創作をしたい絵描きにとっては、そのエンジョイ姿勢を否定されるものです。 またこう主張してた人が自縛されるのは、新しい題材が浮かばなかった時です。 既視感や過去作に縛られた結果、新作を発表できなくなってしまいます。 日本人なら「人様に迷惑をかけるな」とは一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。 実はこれは、日本が世界で自◯率が高い理由の1つでもあります。 東南アジアやインドなどでは次のような教えがあります。 「人は生きていれば迷惑をかけるもの。」 「人に迷惑をかけてもいい、その代わり迷惑をかけられたら助けなさい。」 キリスト教でも「善きサマリア人の例え」にあるように、困っている人がいたら助けてあげるという相互扶助の教えがあります。 それが日本ではことさら「人様に迷惑をかけるな」という教えが強く、結果困った時に他人に頼れないことで塞ぎ込んでしまい自◯に至るというケースが跡を絶ちません。 「人様に迷惑をかけるな」は正論ですが、すべてのケースにおいて正しいでしょうか? 正論とは正しい主張ですが、正論が正しく機能する場面というのは驚くほど多くはないんです。 「べき論」を展開する人が周囲との衝突が多いのは、物事の正しさを盾に主張を展開するからです。 世の中の争い事の大半は、正義vs正義です。 トピ主さんも、いま心の中で正義vs正義をしてるんじゃないでしょうか。 「べき論」を辞めることです。 「こうすべき(Should)」→「こうしたい(Want)」 この考え方をするだけで、だいぶ楽になれますし、自分を縛るものはなくなるはずです。
ありますね…原作の延長線上に決して存在しない関係を勝手に考えてることが辛くなったりします 自分はキャラクター同士が恋愛するパロディだと思って書いてます うまく言えないんですが、ファンタジーパロや転生パロみたいなパロの一つに「恋愛パロ」があるイメージです 原作愛が強くなったときは「自分が書いてるのはあくまでパロだから」と念じてます あまり良い思考ではないかもしれませんが、トピ主さんの気休めになれば幸いです
あるある!なんかわけわからんが自分という人間はそういう病や業を背負った生き物なんだなって受け入れるようにしてます。 どちらの特性をどんなに否定したくても、また否定しようとも、それが在ること自体は変わらないので。じゃあもう在るがままにレリゴーレリゴー☆てな具合です。 在るものはしょうがないのでとりあえず諦めましょう!他人との人間関係と同じように、自分との付き合い方や折り合いの付け方は、自分自身と付き合っていくうちにノウハウができるものじゃないかなと思います。 脳内でケンカしている2人の自分を俯瞰しながら気長にやりましょ!
気持ちはわかります。今二次創作してるジャンルが子供の頃に見ていた作品なので、幼稚園生の純粋な目で見てた自分と今の邪な自分を比べてあの頃の無垢な気持ちでキャラを推せたらと思うこともあります。 だけどよく考えたら幼稚園のころからAとBの本編にない話を空想して絵を描いたりしていたので、幼稚園児の私と今の私は内容が違うだけでやっていることは一緒なんですよね。 別に原作が、推しが好きなのはあの頃から変わってなくて、本編にないお話を考えるのが楽しいのも変わってなくて、ただ私がちょっとスケベに育っただけ。だから二次創作をやってることじゃなくて、スケベに育った自分が悪いんだなと思うようにしています。 たまにカプ抜きにして純粋に原作の書かれてない部分でこうだったら、というファンアート的な作品もやってみるといいかもしれないです。