良いところ、好きなところを探す。ひとつくらいあるよ。 私もトピ主さんの気持ちわかる。自分の目が肥えたってことは他人の作品の良し悪しも気になるし、自分の過去作に猛烈な羞恥心が湧くこともある。成長してる証だと思ってる。
他人の作品を読む一番の醍醐味は、自分では到底思い付かない発想や解釈、世界観に没入することです。なので多少の粗や誤字そして画力なんて全く気にならないです。 しかし、自分が創作側になると粗が気になって気になって仕方なくなります。創作だけに限らず他分野でも自分にとても厳しいと評価されるのでこれは一種の性質だと思います。 自分は自分、他人は他人、という認識が元々かなり強いです。
私は二次漫画描く温泉オタクだけど 同人オタクやってる動機の根幹が「同好の士と推しジャンルの萌えの吐き出しを作品という形で共感したい」だから技術が拙くても「その人というフィルターを通して二次アウトプットされた推しくん像」として十人十色で興味深いなと思って楽しめてるなあ。 自分がせこせこ練習し続けてるのは自分の中の理想をアウトプットするのに足りないもの・欲しいものを補うためのものだから。他人のフィルターを通してアウトプットされた推しくんはこれはこれで面白いしアリだし好きだけど“私の理想”の推し二次像ではないって不介入の線引きがある。 極端な話、知らん幼稚園児が楽しく描いたお絵かきで得意げにみてみてしてきても良いと思える&描いた行為そのものを「良いじゃん」って思えるメンタリティー元々結構持ってる派なのであんまり参考にならないかもだけど。 色合いとか配置とか発想とかバランスとか表情とか雰囲気とか台詞とかシチュエーションとかどこかしらに良いところは見ようと思えばあるから、他の人のコメにもあったけど良いところに目を向けると他人の悪いとこばかり気になって否定する気持ちにはなりにくいんじゃないかな。
私もドラマを見ててなーに未だに肩ぶつかって慰謝料請求してくるヤンキー出してんだぁ!ネタ古いわ!!とかつっこみまくって楽しめない時あります。 楽しんでる人は、創作にのめりこみすぎてないというか、1歩引いてるかな。他人は他人の創作、自分は自分の、って感じ。
同じく。漫画描きだけどお陰で他の人の作品ほぼ読めなくなった。カプ違いの馬しか読めない。小説は読める
>>6
自分も一緒。 自分は字書きだから、コメ主とは逆に漫画は読めるけど、字は無理になった。どうしても細かいところとか気になってしまって、気づいたら作品読むことより突っ込み入れてしまって没入できない。
馬でも嗜好が合わないと読まないし、多少微妙な出来でも嗜好が合えば読めるしファンになる。 同じ描き手/書き手として粗は見つけやすい。でもその粗すら『味』に思えるぐらいに好きになるよ。話が面白かったら。 ちょっと骨折絵でも構図が凄かったり、コマ割りが微妙でも惹きつけられるコマがあると、それでダメな部分はチャラになる。小説もすごく読みにくい人がいても、展開が面白くてその癖のある文体が病みつきになる。 技術があるかどうかも勿論大事だけど、それ以上にお話が面白いかどうかかなぁ…、自分の場合は。 二次創作なら、自分の推しをめちゃくちゃ愛してるんだなぁと感じられる人だったら割と無条件に好きになるかも。 ただ上手なだけだったら二次じゃなくて一次のプロ読むし。 同人は「なんじゃこりゃ?!」と言う予想の斜め上な本が転がってるのが面白い。
作る人ってそんなもんでしょ。 前は気づけなかった良い部分も見えるようになってるよね。
自分は逆だなー。拙かった頃は人の作品の粗が気になってたけど、ある程度描けるようになったら、見えてなかった良いところが見えるようになって、みんな魅力的に思えるようになった。昔は下手だなとしか思えなかった作品を今見たら色んな工夫がされてることに気づけたり。まだ成長途中だから粗ばかりに目がいっちゃうんじゃない?
ダメ出しをする癖がついてるので、自作含めて作品の良いところをあげていくのはどう? 良くないところに目を向けるのも大事だけど、良いところを大切にするのも大事だと思うよ〜
たくさんコメントありがとうございます。良いところを見つける、味ととらえる、なるほどと思いました。たしかに拙いとしても自分から出てこない作風を新鮮ととらえれば粗も気にならなくなっていきそうですね。苦手な作風のものを見た時にもよさそうな視点だ 一歩引く、というのも響きました…あんまりそういう見方できてなかったかも。元々人のを読むのは好きだったはずなので、自分の創作とうまく折り合いつけられる視点をこの機会にみつけていきたいと思いました