読んでる側だと物語の流れを見てるから気にならないかな 没入しきって読むんじゃなくて、軽く話だけどんな話になるかだけ読んでるときは特に なろうの原作なら推敲はしてても添削とかは特にしてないだろうから、そういうのもよくありそう 書籍化して編集の手が加わったとき、その部分どうするのか少し気になるね 書き手がそのルール知らないか、もしくは第三者視点的なイメージで書いてるのかはわからないけど、私もタブーとは思ってないからいいんじゃないかな 小説は面白ければOKだし、そういうルールが気になって読まなくなるのも自由だと思う
主人公がその会話をリアルタイムで聞いてなくても、後から知って、物語執筆時点では知ってる、という状況だったらおかしくないのでは?
三人称一元視点で人称部分が「俺」になっている書き方と考えれば、トピ文に出ている例は全部違和感ない。 トピ主さんは読んでて「ルール破り」に気づいたの?それとも違和感や破綻を感じたの? 前者ならトピ主さんがちょっとルールに縛られすぎ、後者なら書き方としてちょっと失敗しているとは思う。 基本的に小説にルールはないし、トピ主さんがルールだと思ってるのは初心者が書くための基礎みたいなもん。守ると現代の多くの人に読みやすいよってだけ。その書き方が使いたいと思ったらやってみたらいいと思うよ!
>>3
いえ、主人公は知らないままでした。 確かにそれならまだ納得出来るかもですね。
>>2
なるほどです。 意外とルールに縛られなくてもいいのかもしれないですね。 参考になります。ありがとうございます。
>>4
私も三人称の小説であれば何も違和感無く読めました。 >トピ主さんは読んでて「ルール破り」に気づいたの?それとも違和感や破綻を感じたの? うーん、どちらも、でしょうか。 小説を書き始めて1年くらいなのですが、その間ずっとルールを守って守って書いてきたため、昨日の作品は衝撃的でした。これで書籍化になるの!?と思ってしまいました。 私はルールに縛られすぎだったのですね。 今後はもう少し柔軟に、使いたい手法を取り入れてみようと思います。 ありがとうございます。
それは主人公が語り部をしている場合の書き方ですね。いわゆるナレーション役です。 (考えたことないけど一人称多視点ということになるのかな…?) 技術としてはありだと思います。神の視点で、かつ神=主人公なんですね。 表現方法に厳密なルールなんてないと思った方がいいです。作品として面白く、読み手に伝わればいいんです。
小説のルールって、そんなに厳密なもんじゃないよ。掟じゃなくて法則なのよ。 元々あったルールの上で作られてるんじゃなくて、実際の小説が書かれてから見つけ出したよくある手法、法則をまとめてルールと呼んでるだけだから、そもそもどんな書き方しても面白ければいい。 トピ主さんも、許されるとか許されないとか考えずにどんな書き方してもいいんだよ。そこで、わかりやすいか、伝わるか、面白いかだけを考えればいい。だから面白くない、伝わらないと言われたら全部自分のせいなんだけどね。
ルールって言うよりこんな書き方が読まれやすいですよ、こういう書き方をすると違和感があったり読みにくかったりするかもしれませんよ、って経験則の集合体だからね すらすら読めて違和感ないなら極論何やったっていいよ 顔文字入れたって途中で図解したっていいんだよ(もちろんそれで「うわあ…」と思う人はいるかもしれないけどそれだけだよ)
小説作法って破ったから小説じゃなくなるわけじゃないからね。 磨かれたセンスで生み出された名文と悪文は紙一重だし。
日本の小説(とりわけ文芸作品)で視点のブレがタブーとされるのは読者が混乱するからです。許されるかどうかというのは作者が判断することではなく読み手側の問題です 件の原作小説を読んでいて違和感がなかったのであれば、上手くやってるってことなので読者に許容されるのではないかと思います 逆に言えば読者に違和感をもたせてしまったならその視点の切り替えは失敗してるということですね なろう小説はたとえ書籍化されていても素人が書いたものですし、編集者も小説の作法なんてものを重視していません。トピ文を読ませていただく限りあまり効果的に視点の切り替えが行えていないように思えるので、その作品を参考にするのはちょっとどうかと思いました