小説で同じ表現や言葉を使いがちなのですが、やはり気になりますか?...
小説で同じ表現や言葉を使いがちなのですが、やはり気になりますか?
同じ作品の中では極力使わないようにしていますが、別の小説を書く時気になりながらも使ってしまいます。
自分の場合はよく使用するのは
・~な訳ではない
・~した瞬間
・実際
・~ということ
・~しながら
・もしかして
等です
みんなのコメント
気になる。2回くらいまでならセーフだけどあまりにも頻出すると最悪読むのやめるまである
小説じゃないけど、某アイドルソシャゲのテキストで
登場人物誰彼構わず「ともあれ」を連発するのがあって気になりすぎた
これ完全に同意します
趣味だから別にそのままでもいいよね、という考え方もありますが
それなら自分より文章が上手い人に対して嫉妬とかしちゃいけないだろうと思いますね
長文書いてたら重複なんて当然だと思うけど。私は気にせず書く。好きな書き方で書いたほうが楽しいから。そして読むときも気にならない。そういう書き方が好きなんだな、としか思わないので。
ちなみに別作品ならもっと気にならない。
こう言ってはなんだけど他人の作品なんてそんなに真剣に読み込まないし。特に二次に求めてるのは萌えるかどうかだから。語彙やら表現でつっかかるのはよっぽど文章が下手な場合だけかなー。
ストーリーが上手ければ多少の重複くらい全然気にならないと思う。
トピ主さんの出した例はどれも標準的でありふれた言い回しだと感じるので、別の作品だったら気にならない。
ただ、「ということ。」みたいな文末がどの作品にも毎回出てきたら気になる、というかあまり書き慣れてないと思うかもしれない
2コメさんの「ともあれ」は文語的でやや特徴的だなと感じるので、それを登場人物問わず発話するとなると読んでてめっちゃ気になると思うw
6コメと一緒かな
続けて読んでたりあまりにも特徴的な言い回しなら気になるかもしれないけど
むしろ重要でもない場面で重複回避のためだけにかっこつけたり変な言い回しされる方が気になる
同じ表現が多いと気になりますね。少なくとも書いてる本人が「多いな」と自覚するなら、読み手はもっと強くそう感じてる可能性が高いです。それも個性の範疇に入るぐらい味のある作品ならアリだとは思いますが、狙ってそうなれるわけでもないですし…
私はWordを使っているので、多用が気になったら検索して一つの作品内にどれぐらい同じ表現を使っているのか調べます。
たとえば「しかし」を多用していたら「だが」に替えたり、言い回しそのものを見直したり。もっと解像度を高めた言い方できないかなって考えたり。
同じ表現ばっかりだな…と感じさせないのが、いわゆる「語彙力」というものだと思います。私ならこれも表現力を上...続きを見る
頻度次第かな、どれも作品にひとつずつなら気にならないし「しながら」とかは一万字の小説に数個あっても違和感ないな
たとえば「〜した瞬間、〇〇は気がついた。〜が〜だということに」みたいな文の流れがよく出てくるなと気づいたりして、この作家さんこの表現が好きなんだなって気づくことはある
でも、近接してなければその人の持ち味なんだなって思うだけ
気になるのは「Aは腕を組みながら言った。Bは荷物を置きながら答えた。」みたいにすぐ近くで連続してたり、第一話が「もしかして迷惑だっただろうか」で始まって第二話も「もしかして嫌な気持ちにさせたかもしれない」で始まるみたいなパターンかな、意図的に狙ってる場合は...続きを見る
書いていても読んでいても気になるし、これがきっかけで読むのやめることある…
10コメと同じく、wordで全文検索して他の表現に言い換えてるよ
自分は「のように」「ながら」「ふと」「かすかに」「そっと」等よく使っちゃう表現をリストにして、同じ表現は一定の文字数以上離すと決めてる
他の人の頻出表現聞くのも参考になるしトピ読んでモチベ上がったありがとう
多分気になる話と気にならない話がある。テンポよく進む話なら多少重複してても気にならない。あとテンポよくは前提としてのめり込むような構成で佳境だったり重要な心情描写があるなら読んでるストーリーのインパクトに頭持ってかれて気にならない。でも状況描写というか、淡々と何の心も頭も動かない話だと目が滑って読むの苦痛になる。最悪読むのやめる
10万字一本で〜よう〜みたいが一回ずつしか出てこないってこと?
見開き1ページとか、章の中で連続になっていなければ一般的な語句は気にしすぎでは
トピ主さんが上げた中だと
・~した瞬間
・実際
・もしかして
この三つが頻出だと気になる気がするけど一本の中で一回しか出てなくて、別小説で再び使うなら全然構わないでしょう
そんなこと言ってたら小説家は新たな造語生み出さないといずれ何も書けなくなってしまうよ
マイナーカプで書き手数人の界隈、その中のhtrの書くせいぜい2000字程度の中に微妙に間違ってる言い回しが5回以上出てきてごめんだけどhtr認定した。
あれでXではカプに命かけてるとか何かいってるの見て色々察した
後から参入してきたマイ神は文字数そこまで変わらない短いのもたまに上げてくれるんだけど短くても構成、テンポのよさ、語彙、密度なにもかも段違いで落差がすごいから余計に
ひとつの段落の中に何回も出てくるとかじゃなければ気にならない。
たまに重複を気にしてひたすら言い回しを開けてる小説に遭遇するけど、逆に読みにくくってかなわないわ。
むしろある程度表現が重なってるほうが作品の雰囲気を固めてくれるのでいいこともあるんじゃないかな。
トピ文に出てくるようなものならそこまで気にならない
というか気にするようなものでもないのも混ざってるような…
別作品なら本当に気にならないし気づかない
トピ主の好きなプロの作家さんが例えば本を10冊出してたとして、「〜しながら」が1冊目にも2冊目にもあったら気になるってこと…?
どれも割と一般的な表現だし直近で続かない限り気にならないと思う
ましてや別作品なら気にするわけもない
好きな小説家の作品をそういう目で読んで数えてみたら? 同じ章の中でも何度か使ってる場合もあると思うよ
ほんこれ
一般的な表現だし、二文連続で使ってたら、ん?とはなるかもしれないけど、同じ章で何度か使われてても何とも思わない
むしろ商業小説だとよくあることだと思う
気になる
書き言葉も話し言葉も同じ言い回しが多用される状態って受け手からすると文章や口調の「癖」と受け取られるもので
癖の多い文章や口調は少しずつ受け手からの作品に対する信用が下がる要素だって聞いたことがあるから気を付けてる
別の作品なら全く気になりません
同じ作品なら正直間隔と文字数によりますし、意図的に同じ言葉を重ねてる場合は気にならないです
全く気にならない。文レベルで同じ表現が頻出するならともかくトピ主のは単語や文節レベル。同一作品内でも気にならないし別作品ならなおさら。
夢十夜の第一夜(約2000字)には「ながら」が4回出てくる。
羅生門(約6000字)は「ながら」は8回、「という」なんて11回
山月記(約6600字)で「ながら」は8回、「ばかり」が7回、「ところ」が6回
メロスは一万字くらいで「ながら」が11回。「という」は9回、「ところ」は7回。
ちなみにどの作品でも「ような/ように」は多用されていて
夢十夜 5、羅生門 13、山月記 11(ついでに「如き」も5回)、メロス 21、という出現回数。
これらの作...続きを見る
・~した瞬間
・実際
この辺は頻出するとちょっっとだけ気になるかな
用法が明らかに狂ってなければそこまで変には感じないけど、変な癖ついてる人ほど疑わずこれが自分の持ち味!とかいって放置しがちだよね…
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