推しに無意識に自己投影してしまう対策 知らず知らずの間に自己投...
推しに無意識に自己投影してしまう対策
知らず知らずの間に自己投影してしまうのをやめたいです。二次創作は推しの肯定ないし受容が主な動機になると思っています。推しのコアになってる部分を掘り下げて肯定する二次創作をしよう!と推しをプロファイルして、攻め(刀剣乱舞みたいなプレイヤーの自我が薄いゲームの主×推し)も推しと対になるようにしつつもそのコアの部分に共感して惹かれ合う説得力を持つよう逆プロファイル、テーマも自然とそこにフォーカス…と あんまり私の嗜好を挟まないように意識して作っているつもりです。
しかしふと完成した話を見返してみると、どっちもお前が自己投影しやすすぎない??と思わせるストーリーになってしまっています。
例えば誰かを愛するのが怖い(拒絶されたくない)が愛を求めている受けの対になるように、愛を与えたいが愛されるのが怖い(受け止める自己肯定感がない)攻めを作るとします。一見反対でありながらも本質的には似た者同士で相性が良く、愛着を形成するにつれてお互い怖いと思っていた方のも相手にならできるように…とするのが一番自然かなぁなんて考えます。
ただ、この路線で掘れば掘るほど、それってあなたもそういう受容のされ方をしたいんじゃないですか?自己投影入ってない?と思うくらい自分が感情移入するのに都合のいいストーリーになってしまいます。
普通に考えて、性格が好きで推しになる場合、何かキャラに共感できるところがあって好きになるパターンが多いでしょう。というか今回推しのコアがそれだったのだと思います。そしてそこが共通する攻めを作り、話のメインに据えてしまったせいで、もうどこまでも私が共感・投影できるようになってしまっているわけです。
二次創作において 書き手の自己投影が透けて見える作風は往々にして嫌われがちだと思います。ですのでこの推しの軸を作品のテーマに据えるならこういう話が妥当…となるべく客観的なものが作れそうな製法を今回初めて取ってみた訳ですが、蓋を開けてみればどこまでも自己投影し放題の話が出来上がってしまいました。
なんなら普段こういう推しが見たい!で適当にテンプレBLかましてた時の方が共感や投影がしづらくて、推しに自己投影している!という罪悪感が出にくかったくらいです。でもテンプレBLはそれはそれでリスペクトがないとかって嫌われがちですし、実際掘り下げが甘くてつまらないなと自分で感じていました。
自己投影感をあんまり出さずに掘り下げを行いたいのですが、解釈にはどうしても書き手の主観が入り、自分の食べやすい方向に寄っていってしまうものだと思います。完全に自己投影を含まない(共感できない)で魅力的な掘り下げを行うのも難しいでしょう。
自己投影が入ってしまうのは仕方ないとして、自己投影"感"が出ないようにするにはどうすればいいでしょうか?気をつけていることはありますか?
みんなのコメント
書き込んだあとに同じような悩みの人間がいないか検索をかけたのですが、感情移入できることと自己投影であることは別なんですね。
自己投影をせずに感情移入マシマシで書くこと自体は嫌われないのでしょうか? 感情移入できるキャラに自己投影をしないための注意点はありますか?
そもそも根本的に創作とは自分の中から出てくるもので構成されているので、愛を主題として描くなら「自分がどういうものを愛だと認識してるか」という自我からは絶対に逃れられない。
そういう意味ではあらゆる創作に作者の自我は投影されているし、自己投影されていない創作なんてものは存在しないです。
二次創作でよく批判的な文脈で言われる自己投影というのは、主に作者本人(のものと思われる)願望や性質を安易に肯定するための都合のいい展開や、そのために原作で描かれているキャラクター性を曲げることだと思います。
例えば原作では溌剌として人間関係にも積極的な受けがうじうじ後ろ向きな受け身キャラになっていて、その上...続きを見る
全然トピズレだけど捏造BLじゃなくて公式BL作品で活動した方がよさそう
3回くらい公式BLカプジャンルROMってるんだけど、まさにこの関係性が好き!自己投影上等!受けは私!攻めも私!カ〜〜〜ッ気持ちわかるわ〜〜〜!!みたいな、どこもそんな感じだった
作風だと思うので、無理に変えないで羽伸ばせるカプいったら良さそう
どこにトピ主の安住の地あるかわからんけど、頑張って公式BLでそこそこ二次創作オタクいるカプで思う存分感情移入できるストーリーかこ
あとは、自己投影キショいみたいなの日本のオタクだけで別に日本以外は好きに自己投影しまくっていい空気なので日本人少ない海外ジャンルで自己投影しまくる...続きを見る
自己投影してるって他人から指摘されて初めて意味のなすものじゃないの
本当に優しい人は自分から優しいと言わないみたいに
トピ主は自分の作品に100%自信が持てない理由を「自己投影感が何処かにあるのではないか」として本質的な何かから意識をずらしてるように思う
二次作品を好む人は自己投影感を作品に反映するのを嫌う、という後ろ楯が欲しくて自分の作品を認められない言い訳に持ち出してるに過ぎない
原作・公式で描かれてない部分を補おうとするとどうしても価値観や好みは入ってしまうと思う
Xなどで自我多めだと特にそう思われやすい、考え方や服飾品、インテリアの好みとか それ自分では?となってしまう
支部の作品だけ見てるとあまり思わないから自我出さなければいいけど交流するなら難しい
キャラの特徴、好き嫌いや趣味特技で自分と一致しない部分を強調する事かな
どう足掻いても一致しない部分なんて探せばいくらでもある筈だから…それが見つからないとしたら掘り下げが足りないと思う
突き詰めたらただのお人形遊びなので自分の好みから価値観まで自分がどうしても入るのは仕方なくないか
カリオストロだって原作者もルパンっぽくないっていうほど原作らしくないはやおの投影入ってるだろうし
都合のいいストーリーにならないように逆張りして描いてみたらいいんじゃない
今まで培ってきたキャラの考察や自分の作ったストーリーを具体的に批判して見てみるとか
幅広い人や狙った層が自己投影がしやすい、共感できるってつまり王道ってことでしょ?シンプルに王道の逆を行ってみるとしたらキャラの心情や行動はどんなふうに変わるんだろうって考えて見たりとか
大体自分の経験を通して他人を見るのが人間だから、た...続きを見る
そもそも創作って究極の自我投影物だから考えるだけ無駄だと思う。別に良くない?「自分が」好きだから書いたり描いてるわけだし、
「自分が」いいと思うストーリー展開を作るわけだから。これを「需要に」合わせるとなると分析しながら変える必要があるけど、それをしなきゃならない状況なのであれば、徹底的にマーケティングサーチして掘り下げたものをインプットしていくしかないと思うよ
自己投影自体は否定されるものではないこと、創作と切り離せないことを理解しました。
都合が良い感じを消すために、心理描写や行動原理の整合性についてはしつこいほど詰めました。言い訳がましいくらいです。原作での描写を全部通すための理論が割とシンプルな子だったので、見せたいものに言い訳を付けるためにまどろっこしい湾曲した理論をつけている、といった印象もそこまでありません。
ただ、私がそのテーマを書きたい!と意志を持って選んだ訳では無いにしろ、結果的に自分の根幹というか、自我に割とガッツリ接触してくるテーマになってしまっているので、自己投影が悪!みたいな価値観を抜きにしても世に出すことに抵抗を感...続きを見る
私の好みのキャラの姿だけど私自身の考えや反応とは違うので自己投影とか自己開示とか思ってないな…
自己投影臭いと感じるのは自分の好みじゃない解釈されてる時だと思う
人は自分の好みや自分のキャラの理想像を作ると「キャラはこうあるべき。原作キャラはこうなんだ」って無意識に思い込むんじゃないかな
そして他人の作品の自分好みじゃない部分を見て「自分が好みで解釈したのと同じくその書き手はも自分の好みに従ってこんな解釈した」とはならず「こんなのが好きな人なんているはずがないから自己投影」と判断した時「自己投影キモい」という感情が出てくるんじゃないかな
人が自分の好みとのギャップに自己投影を感じる...続きを見る
世に出さなきゃいいだけでは
創作したものを全部世に出す必要ないよ
自分だけで楽しんでる人は多いよ
(学校のプリントの裏に落書きしたことない?それ全部世に出てるわけないよね?)
創作すること、自己投影すること、発表すること、何に引っかかっているのか切り分けて考える必要があるのでは?
自己投影しない創作がしたいのか、発表することで自己投影だと指摘されるのが怖いのか、自己投影したキャラを否定されることで自己を否定されることになるのが怖いのか、それとも他の理由か
それによって対策も変わってくる
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