人のご厚意を、素直に受け取れません。 同人歴十数年程の字書...
人のご厚意を、素直に受け取れません。
同人歴十数年程の字書きです。
これまで、いくつかのジャンルで活動してきました。
そのいずれにおいてもメインカプは、書き手が私一人か、他に一人二人程度のマイナーカプでした。
ただ、見る・読む分には比較的雑食である事と、カプ問わずジャンルの話がしたい思いから、交流については他カプの方々とも行ってきました。
その交流の中で他カプメインの方に、リクエスト以外で、私の推しカプを書(描)いて頂く事があります。
例えば私の誕生日や、Twitterのタグといったものがきっかけです。
数年前までは、その作品を素直に喜び、ご厚意をありがたく思えていました。
しかし一年程前に、現在のジャンルに移動してから、そうしたご厚意を素直に受け取る事が出来なくなってしまいました。
嬉しく思う気持ちの一方で、
「こちらのリクエストではなく自発的に書いているのに、どうして名前の漢字が違ったり、間違った情報で書こうとしたのだろう。下調べはされていないんだろうか?」
「この人の作風は知っているけれど、このキャラは性格上、こうした表現を使わないと思う」
「直接リクエストはしていなくても、私の推しカプを知っていたら、それを書(描)かなければならないと気を遣わせてしまっただろうか。タグに反応しない方が良かっただろうか」
と、余計な事ばかりを考えてしまい、嬉しかったはずの気持ちが塗り潰されてしまいます。
加齢によって解釈違いが受け入れられなくなったかとも考えましたが、自分に向けられたもの以外の作品は、逆カプであっても「この方はそういう解釈なんだな」と受け止められます。
ただただ、『直接リクエストはしていないのに、こちらに向けて書かれた推しカプ作品』を喜べなくなってしまいました。
どのように考え方や、心持ちを変えれば、以前のようにご厚意を素直に受け止める事が出来るでしょうか。
アドバイスを頂ければ、幸いです。
みんなのコメント
具体的な内容には拘らず、相手の方がトピ主さんのために時間を割いてくれた事実だけをありがたくいただく、とかでしょうか?
時間は有限ですし、貴重な時間をご自身に使ってもらえるのはありがたいことなんじゃないかな~と。
余計な事を考えてしまうのであれば考えないのも一手かなと、客観的なタイプの人間としては思います。
確かに、時間を割いて作品を作って頂けたという事実そのものが、とてもありがたいことですね。
私自身が、リクエストを頂いた時以外に作品をプレゼントするという事をほとんどしないので、その点に考えが及んでいませんでした。
また、考え方を変えるという視点ばかりでしたが、あえて考えないというのも、とても参考になりました。
コメントありがとうございます。
人から受け取ることに慣れすぎて、相手に対して要求が大きすぎるんじゃないでしょうか。自ジャンルでもないものを時間を割いて書(描)いてくれてるんですよね。それだけでもありがたいと思うのですが。
「幼稚園児があなたが喜んでくれると思って一生懸命描(書)いてくれた」と思ったらどうでしょう。園児に対して「クオリティが低い」「気持ちがこもってない」「媚びを売ってるのか」なんて考えないですよね?
一生懸命かいてくれた気持ちが嬉しいんじゃないでしょうか。
受け取る事に慣れすぎた、というご指摘は、正にその通りだと思います。
今までのジャンルで交流してきた方たちが、プレゼントをよく贈られる社交的なタイプが多く、いつの間にかそうした行為を、当たり前と捉えてしまっていたのかもしれません。
そうした方に恵まれていること自体が、とても貴重なんだな、と振り返れました。
コメントありがとうございます。
むしろ今の状態が普通で、以前の喜びだけだった時の方が特別だったんじゃないですかね?
調べろよとか、キャラ解釈が甘いとか本音では思うんじゃないでしょうか?もらって嬉しいのとは別にして。
すいません、厚意を素直に受け止めたことがないので、トピ主さんっていい人なんだなって思いました。
絵をプレゼントされたら、下手な絵師は人に絵を上げる前にすることあるだろ、って本音では思ってます。気持ちはうれしいからお礼言いますけどね。
気になる部分にばかり目が留まってしまう事、そしてまた、
もやもやを抱えたまま、体裁を整えたお礼を伝える事に、自己嫌悪を覚え、今回こちらのスレッドを建てました。
なので、同じように感じられる方もいらっしゃるんだな、と、心が軽くなりました。
ただ、そのように感じられても、「気持ちはうれしいからお礼を言う」コメ主さんこそ、優しい人だと思います。
コメントありがとうございます。
描いて貰えることに慣れて、感謝こそすれど以前ほどではなく、あろうことか相手への要求度合いが上がってるんだと思います
要は天狗ですかね
リクエスト以外のイラスト寄稿をお断りする旨の宣言などして、少し頭を冷やした方が宜しいかと。
嗜好とはズレているとしても、描く時間を割いてくれた感謝とは違う感情が上回っている状態なら、お断りは相手のためでもあります。お互い、大切な時間を無駄にしない為にも。
天狗という言葉が、とても刺さりました。
刺さったということは、正に自分で薄々気付いていながら、目を背けていた部分なのだと思います。
お断りの表記をする、という具体的な施策のアドバイスも、自分には考えもつかなかったので、とてもありがたいです。
相手の方の時間を無駄にしない、という思いやりに気付かせていただき、ありがとうございます。
コメントありがとうございます。
「サプライズで誕生日プレゼントを貰った。良いものだとは思うし気持ちは嬉しいけれどこれだ!っていうのとずれててモヤモヤする…」って感じに見えました。
正直その気持ちはわかるんですよね。「確かに私はイヤリング好きだけど派手なのは好きじゃないんだよな…」とか「このお金で自分の好きなもの買った方がいいんじゃないかな…」と思ってしまうんです。
別に素直に受け止める必要はないというか、何だって「人に物を貰ったら不満一つなく喜ばなければならない」という強迫観念は必要ないと思うんですよ。ただそれを表に出したらギスギスしちゃうから上手くやり過ごそうねっていう。「100%喜んで受け入れろ!」ってそれプレゼント...続きを見る
自己嫌悪が募る原因の一つが、お礼のために、作品を読み込む行為でした。
それ自体が失礼なのですが、「合わない作品だけど、素敵な所を見つけて、具体的な感想を述べなければならない。ちゃんとしたお礼を言わなければならない」と、勝手に思い込んでいました。
なので、「時間を割いてくれたことに感謝して、作品にはさらっとコメントする」というご意見が、目から鱗でした。
なかなかすぐには難しいと思いますが、まずは相手の方の気持ちを受け止めるところから、立ち返って始めてみようと思います。
コメントありがとうございます。
作品そのものや品物の良し悪しよりも、「贈りたい」と思ってくれた気持ち自体に感謝するようにすれば良いと思います。