「芯の残った米問題」結局乗り越える方法って何があるでしょうか? ...
「芯の残った米問題」結局乗り越える方法って何があるでしょうか?
自ジャンルでは大人になってから創作を始める人や、学生時代にやっていた二次創作に出戻りしてくる人が多いです。
しかし、大人になって目が肥えている状態では必ず「技術が伴わず自分の思い描いたものからかけ離れた作品しか作れない」という問題がついてまわります。
トピ主のジャンルでもやめていった方、結局創作をほとんどしなくなる方が沢山いました。
自分が使った労力に対して想定よりはるかに不味い「芯の残ったご飯しか炊きあがらない」という問題、乗り越えた方はどうしましたか?
他者評価ではなく自己評価の問題で、己と向き合わなければならない分、悩む人は孤独な戦いになると思います。
トピ主は米の味が分からないほどジャンルに狂ってる時に描きまくるという勢い任せでやっていますが、これはジャンルに狂った人にしか当て嵌まりません。
何かのジャンルに狂ったからではなく、漠然と絵や文が描きたくて始める人はどういう乗り越え方があるでしょうか?
みんなのコメント
ツイッターでバズったやつね
逆にどうして炊飯器の説明書も見ない(ハウトゥを学ばない)、レシピも見ない(我流)でおいしいお米が炊けると「期待」するのかが不思議です
スポーツで例えるなら、サッカー観戦が趣味の人でも(レベルの高いサッカーを見慣れていても)、いきなりリフティング100回したり、試合でハットトリックできると思って始める人いないと思うんですよね
初めて聞いた比喩だけど
出戻りで絵を書いてるよ
技術はともなってないし若くて素晴らしい作品を投稿する人を見ると悔しくなる時もあるけどとりあえず私は自分が描きたいものを描けるようになりたいと思ってるから筆を折ることはないと思う
仕事が忙しい時はしばらく描けない日もあるけどね
創作って孤独な闘いだからなあ
向いてない人っているよ、やめちゃうのは仕方ない
それはそうと、芯の残った米は水分を足して保温すればマシになるのと同じで、現状(米に水分が足りない)を分析して必要なもの(水分)をコツコツ身につけていくように肚をくくるしかない
そもそも努力が苦手な人には乗り越えられない壁なんじゃないかと思う
自作品を見て自分で「うふふ」と喜べるかどうかに掛かっていると思います
眼高手低で自作品を「だめだ!」と壊してしまうと上達の道が険しくなる。出来上がった時点で喜べるかどうか
ローカルサイトでひたすら自分のためだけに二次を書いていた時期がありました。書き続けること自体を楽しめるのだと体に覚えさせる時間があったので、あまり評価ありきの考え方ではないですが。自萌えがあれば強いですが、書き続ける楽しさは自萌えとも微妙に違って、書くことの楽しさとして確かにあるので。
地味な言い方ですが、書いて、そこまで書けた自分を承認する。それに飽きないこと。
書き続ける楽しさが好きかどうかじゃないでしょ...続きを見る
「芯の残った米問題」なんて知らないし、知らない単語に気が散ってしまうもったいないトピだ…
質問への回答としては、私はいわゆる互助会の良い力を借りることだと思います
互助会という言い方もあまり好きではないのですが、身近な人から好意的に褒められるってすごく元気が出たり、励まされたりすることだと思います
自己評価の問題ではありますがそこに向き合いすぎず、他者評価で問題を先送りにするのもひとつの手かと
芯の残った米しか炊けなくても、優しい家族が「でもこれカレーに合うかも」とか「炒飯にするにはちょうど良い硬さじゃない」とかフォローが入ることで立ち直って「次は基本に気をつけて炊こう!」と思える...続きを見る
大人になって創作を始めた人が通って来なかった、同級生や部活の友達なんかのローカルで見せあいっこしてわいわい楽しむってやつですよね
これが大人になってもできるのが互助会だと思ってるので私も決して悪いことだとは思わないし
優しいぬるま湯で自己肯定感を高めつつ創作に打ち込むのも良いと思う
これ一番効果ある
先生的な人がいるとベスト
絵をなんで描くかって伝えたいからでワイワイ見せ合う人がいるのがいいんだよねえ
元の性格かも
乗り越えたとまでは言わないけど負けず嫌いなのでクソクソいつか美味い米炊いてやるからな!的な精神でやってる。あと小さな進歩に喜びを感じられるほうなのでまあ前回よりマシだわ!を積み重ねてる
でも漠然と始めて理想と現実の壁にぶつかった人は難しいのかな~と思う。ジャンルに狂う必要は無いけど何かしらこうなりたい!って強い気持ちがないと努力って続かないし
書いている最中は苦しくてしょうがないと思いますが、出来上がった時の喜びをどれだけ覚えているかだと私は思います。
眼高手低でも、出来上がった時のアドレナリンドバドバ状態がはまれば、後から自己否定してもなんだかんだ立ち上がってくる人が多いです。出来上がったときに歓声をあげるかため息をつくか、で分かれる気がします
絵描きだけどひたすら練習するしかないかなと思ってる
自分が苦しいなと思うのは、例えば頭の中では激しいアクションシーンや俯瞰シーン等が思い描けていても画力が全然足らなくて頭の中の10%も表現できないこと
そして、見たり読んだりしてくれる人に「この程度か」「浅いな」みたいに思われたらいやなことなんだけど、実際に絵で表現できない以上それが実力なんだろうからもどかしい…頭の中の映像を具現化出来たらなっていつも思う
でもどうしようもないから画力をあげる練習をするしかないなと思う
芯の残った米は器に盛って水を数滴たらしてラップ被せてチンすれば柔らかくなるので
適切な器を用意し(趣味だから金かけたくない、よく分からないと言ってツールをケチったり諦めたりしない)水を吸収して(年齢に関係なく流行りや技術を吸収しようと心がけて)レンチン(鍛錬してあたためる)すれば多少は食えるようになる
・過去の自分とだけ比べる
・仲間を作る
・リビドー(描きたいもの)を追求する
この手の論争って、結局上の三つに落ち着く気がする。
人と比べてネガると簡単に心が折れますが、昨日の、一年前の自分と比べて、細かに上達を実感する機会を作ってやること、自分の機嫌を取ってやることが続けるために大切かなと思います。うまい人の絵を見るにしても、どうやったら近づけるか考える、どこに魅かれたのか分析する。現実を直視して、ひたすら考えてPDCAを回す。
創作に限ったことじゃないけど、やる人はごくわずか、続ける人はもっと一握り。最初は下手なのは当たり前で、続ける人だけが上達していくわけですから。
...続きを見る
そういうものだと思って努力するというのも選択の一つだけど、頑張れない時にはできる範囲でやるという考えも続けるには大事だと思いますよ
伸びる時期もあれば凌ぐしかないときもあります
絵の上手さじゃなく自分がどうしても表現したいものを追求する
身体の「上手さ」だけなら今や3Dでいくらでも代替できるし、なんならAIがある程度整った絵を描いてくれる
だから上手さじゃなく「自分がフェチズムを感じるもの」を理解し、それにこだわって制作する
目でも服のしわでも線でも塗でもいい
自分でしか表現できないものがある限り創作はやめられませんから
大人だから目が肥えてるとかとは別で、創作に限らず何でもそうかなと思います。
学業、仕事、家庭なんでも、理想と違うことはあるのではないでしょうか?
そこをどう乗り越えるか、もしくは諦めるかだと思います。
ご質問の、乗り越え方ですが、私は自分で自分をあらゆる方法で励まして、絶えず試行錯誤することかなと思います。具体的な方法は他の方が挙げられている内容です。
二次創作しないと見えてこない原作の細かな魅力ってあると思う。
私は漫画描きだけど、自分で描こうとして初めて、このキャラクターはこんな服を着ていて、こんな動作をして、こういうときはこんな判断をするんだ…って、ぼんやりしていたイメージがかたまっていく感じがする。そうするともっと原作のことが好きになる。
そこに芯があるとかないとか関係ない。
芯が残ってる作品しか作れないのはまあ辛いんだけど、ふっくらご飯を求めてやっているわけではない、って自分に都度言い聞かせてる。
あと、創作ってそんなうまい必要ある!?って反骨精神もある。
とくに「物語」は、技術的に拙くても、深く心に刺さる視点や表現が...続きを見る
>二次創作しないと見えてこない原作の細かな魅力ってあると思う
この言葉、胸に沁みました。
特に女性向け同人の真髄だと思います。
活動ジャンルとは別にROMジャンルがいくつかあり
支部で追っているのですが、
推しカプの魅力だけだなく、
二人を陰ながら見守っていたキャラたちの温かさに
本気で胸を打たれ、泣かされ、原作も一層好きになります。
プロのような技術でなくても刺さる作品はたくさんあります。
誰かにとってのそんな作品が作れたらいいなと思いますね。
大人になってるから目が肥えてる以外にも
「理解してないんだから描けない」「見て無いんだから描けない」「練習してないんだから描けない」
「描いた事無い物やポーズだから描けない」
ってハッキリ理解出来てるので…
下手な頃は上手い人が魔法みたいに描いてて、水面下で必死で足をバタつかせてるなんて見えて無かったなあ
本職ではなく趣味だし。
未熟でも楽しんでる、真摯に取り組んでる人が身近にいて素敵だなと思ってるから、正直そこまで深刻に悩まない。
創作はそもそも孤独。考えるだけではだめで、とにかく手を動かすしかない。
内容が高尚か低俗かは置いといて、絵や文って芸事なので、自分の実力を謙虚に受け止めて鍛錬積むのがなんだかんだベターじゃない?
絵や文に限らず、歌舞伎とかでもスタートが遅い役者さんは大変な思いをしながらもストイックにやってるじゃん
あの姿勢からは学ぶものがあるのでは
そもそも「漠然と」「絵や文が描きたくて始める人」は向いてないんじゃないですかね…。
そもそも絵や文も「表現したい何か」を表現するための手段なわけで、目的と手段が入れ替わってる時点で初期や継続の動機としては弱いと思います。
もちろんその目的が「既存作品のようなものを創出したい」「推しを表出させたい」「評価されるものを創出したい」、なんでも良いし、もちろん完全に「絵や文が描く」のが目的な人もいると思いますけど、漠然と始めたとしてもどこかのタイミングで目的と手段の関係性に気づかない限り脱落していくしかないんじゃないかなぁと思います。
それは事実の半分でしかないと思うけどな~
体を動かすことを快と感じるように、絵を描くことそのものの楽しみもある。デッサンや細密画のように、見たままに描く手法は特に自己表現<描くことそのものじゃないの?
小説も、物語が出来上がっていくことや完成する達成感があるし
そういうタイプの人は、完全に「絵や文が描く」のが目的な人のカテゴリーだと思って書きました。言葉足らずでごめん。
いやいや、噛みついたようになってこちらこそごめん…
でも、そんなに「表現したいものがあって創作する」「手段・趣味そのものを楽しむ」人って、完全に分かれてるわけじゃないんじゃないかな?と自分は思った。
私は明確に、推しカプで表現したいものがあるから描いてるタイプだけど、やっぱり描くのは楽しいよ。辛いことも多いけど…
芯の残った米だと思うなら次そうならないように工夫すればいいだけで、それは苦しいとか…そういう感情とは全然別の問題だと思うな~。
出来ないなら出来るようにどうすればいいか考えれば良くない?
そのための知識を調べる方法とか、分からなくて人に聞くならそのためのマナーとか、大人ならもう持ってるだろうし。
目が肥えてるって最大最強の武器だと思う。
自分の足りないところも人の上手いところもちゃんと見えるって事だから、それこそ目の肥えてない若い人よりも効率的に成長できると思うよ~!
芯が残った米が好きだから覗いてみたら、思ったのと違う話でした。
大人になったなら、その分経験を積んでいるので、できることとできないこと、効率の良い手段の選び方など、そちらに頭を働かせれば良いのでは?と思うけどどうなんだろう。
絵が描けないデザイナーもいるだろうし、物語を上手く語れないイラストレーターもいるはず。
できる方法を創作に活かせば良いと思う。
大人なら、美味しく炊くにはどうするか調べるし、美味しく炊くための練習をするし、美味しく炊くための道具を買うよ、それが大人
調べる、勉強する、努力する、投資するっていう学生時代に身につけるべきものが身についてない人は、そこで挫折する
あるいは、単にそこまで乗り込めるだけの熱量がその趣味になかっただけってだけかも知れないけど
何かのジャンルに狂うのが一番早い(実際早いし最適解だった)のはさておき、漠然と絵や文が描きたくて~だったら、受験勉強や資格勉強と似た感じで上手い人の講座を見て学んだり、教本買ってひたすら練習したり、そこから理解した自分の苦手を潰して、ある程度ましになったら界隈の人気の傾向を掴み、人気なものに近付けるために対策を練って…を繰り返すしかないと思う。
いい大人なら受験や資格、会社から内定を貰うとかで一度は何かに向けて努力したことがあると思う。だから少なくとも努力の仕方はちょっとくらい分かってるはず。問題は、その熱意と労力を創作に向けられるかどうか。
進学、資格、就職は時間を費やしたぶん自分自身の...続きを見る
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