「攻めと受けが対等」ってどういうことだと解釈してますか? よく...
「攻めと受けが対等」ってどういうことだと解釈してますか?
よく対等な関係が良いからリバが好きとか、左右固定だけど対等な二人が好きとか聞きますが、結局何なのかよくわかりません
ポジションをどっちもやるから対等(受け入れる側に負担が大きいという意味で)だとしたら、「左右固定だけど対等な二人が好き」で意味が通じなくなってしまいますし、精神の問題だとすると主従キャラ以外のカプで関係に優劣や上下があるのか?と謎です
なのに定期的にどこでも話題に上がるので、結局皆どういう意味で「対等」と表現しているのか聞いてみたいです
みんなのコメント
左右固定で対等というのは、攻めは攻めがやりたい、受けは受けがやりたい、お互い尊重してるね!
みたいな意味ではないでしょうか。
あと性欲が同じくらいだとより良いと思います。
攻めばっかりが欲しがって受けが流されるだけ、とかだと対等ではない気がしますね。
なるほど、左右をどちらかが押し付けたり諦めたり一方的に望んだり…は確かに不対等ですね
自分は左右固定なのですが、攻めが攻めたい受けが受けたいとお互い了承してから致す初夜が好きです
メンタル面が対等なんだと思います
スパダリ攻め×守られ(愛され)受けなどで、受けがひたすら守られているのを見ると対等ではないなと感じます
なるほど…例えば守られる立場の受けだとしても、攻めを心から愛する描写があれば対等だと感じられるのでしょうか?
対等な関係って性的な攻めとか受けとか関係なく
立場とか相手をどれだけ尊重するかって話だと思うんですけど、質問の趣旨と違ってたらすみません。
一方的に守られていたり、金銭的な面で援助してもらっていたり、あるいは本人にそういう意思はなくとも相手を強引に従わせていたり、相手の意見を聞かずに自分だけで物事を決めてしまったり
そういったことのない、互いの意見を尊重し合うような関係を対等というんじゃないでしょうか。
私は対等に捉えていて、どちらからも誘うし、どちらも断る感じです。
どちらも主導権を握れる、どちらにも決定権がある。といえば良いのかな。
日常生活でも。
夜のお誘いをしたとき気分が乗らなければノーを言えるのが対等な関係だとは思ってるけどそれはそれとして流される受けも攻めも好き
相手が攻め/受けやりたいって言いだしたら実際にやるかどうかさておき受け入れる覚悟を持っていること
転じて、お互いを尊重していること
どっちかだけに決定権があって従う、主従関係とか昭和の亭主関白みたいな関係性でないのなら一応対等なのでは
受け攻めでいったらどちらも攻め(受け)をやりたいとなれば快く受け入れるとか、受けを嫌がるならセ○クスしないとか(次はリバで、っていうのはその時の受けが我慢してるから対等とは思えない)
私の推しカプは主従やパトロンが多いので一般的な対等にはならないけど実はお互い支え合ってるので私視点では対等
肉体関係まわりが多分一般的な意味なんだろうなーと思いつつ、自分的にはさらに
「片方が片方に翻弄されっぱなしじゃない関係」が好きで、そういう意味でも「対等」にもうちょっと言葉を付け加えて使うことがある。
いっつも片方が片方の手のひらの上じゃなくて、お互い主導権取り合って、相手にドキドキするところをが見るのが好き……お互いのことを「こいつ一筋縄じゃいかねーな」って思ってるふたりが好き…
>お互いのことを「こいつ一筋縄じゃいかねーな」って思ってるふたりが好き…
これ~~
お互いに翻弄しあって、やってやられて一方的じゃなくお互いに張り合ってるみたいな、力の拮抗みたいなものが見れたらソーハッピーなので、そういうのを対等と呼んで対等が好き!って言ってる気持ちある
固定カプの一部でさんざん擦られた「攻めはこうあれ」「受けはこうあれ」みたいな固定観念に飽き飽きした
という意味だと思います
攻は甘えたり泣き言いったりせず、つねにスパダリな態度で受ちゃんを愛でるべき。可愛かったり情けない攻は書き手がリバ思考。
極端に言えば↑みたいな考えの人がいる。まじでいる。
それを鵜呑みにした人はリバは対等だという考えになるんじゃないかと思ってる。
読者側の性的役割分担へのヘイトとか偏った考えがまず先にあって、そういう考えをためている人が読者になった時、例として「受けは女(受け)なのにごはんつくらないのおかしいです!(私はいやなのに作らされている、なぜ受けはその立場から解放されているのか。許せない、立場を分からせてあげないと後々の受けが大変になる)」という感じの言葉ををかわすために対等な関係ですと書いてると思ってる
どっちかがどっちかに一方的に尽くしてるとかではなくてどっちも相手を大好きなんだなーという描写があれば対等だと思える
自分が攻める事と自分が受ける事に双方納得がいってる関係
相手に強いたり強いられるのは対等じゃないし、本音を言い出せないのも偏った関係を感じるし、言っても意味ないから受け入れてるのは諦めだし
上にも出てるけど、攻めと受けを古いジェンダーロールに当てはめ、受けが料理しなきゃ駄目とか攻めは受けより稼いでなきゃ駄目とか言う人がまだ一定数いるので、そういうんじゃないですという意味です
双方の納得によって成立している関係というか
ちなみに話し合いと納得があるなら、結果的になんらかの偏りがあっても対等だと個人的には思っています
・攻めだからこう、受けはこうすべきといった擬似ジェンダーロールに縛られない
・お互いに相手を尊重している
・カプの片側だけに何かしらの負担が偏っていない
書き手からの扱いで、一方に許されることや与えられることがもう一方に許されない場合は対等じゃないなーと思います
なので自分が対等だと感じるのはその逆のパターンです
よく考えたらセッのポジションだけで二人の関係が対等かそうじゃないかをはかるのって変な話だよね BLでも男女カプでも
創作してる側の好み以上の意味はないのに
だよね、"お互い挿しつ挿されつの関係だからフェア"という声をチラホラ見るたび首を傾げてしまう
夜のポジションは対等云々に関係ないと自分はハッキリ思ってるよ
普段の関係性がすべてじゃないかなー
お互いの気持ちを尊重しているか、一方的に与え与えられるばかりではないか、どちらかが何かを我慢してはいないか、その際に腹を割って話し合えているか…
つまるところ気持ちの上でイーブンな関係であるかどうかが肝かなと思う
ポジションの話で言ったら、だったら男女のカップルも女がぺにばんとかつけて挿入しないと対等じゃないんか?と思う
性行為の話じゃなくて普段の関係性だと思う
いわゆる昭和の専業主婦みたいなのを受けがひたすらやってたり、攻めがとにかくスパダリで石油王みたいな振る舞いで受けは言い方悪いけど顔がいいだけで無能だと「古っ!」と思う
そういう極端な描写がなければ「この二人、対等じゃないな〜」とは思わない
出て来るコマの数とか描き込み度合い(物理)
どっちも可愛く描くぞ!格好良く描くぞ!のバランスを同じくらいにしてれば対等かなって
自分の力量だと作中のキャラの立場とか権力とか、メンタルの強さの違いとか何か精神的に支え合ってるとかそう言うのを変える力無いんよね…
それに大抵より好きなキャラの方がつい登場回数多くなるから……ついやっちまうところ、もう片方どっかに出番増やせないかなって考えるのが私の思う対等
根っことしてはBLはそもそも受け側の身体的負荷が高くなる(本来の用途じゃない身体の使い方をする)ので
必然的に攻めが受けを心配するって展開が多くなりがちで
そこを過剰に取り上げたくない、ってとこからリバがいいとか左右固定でも〜って話が来てるんじゃないか
単純にそれだけの話だったのが、対等って言葉の意味から
個対個の関係性の話まで広がってしまってわかりづらくなってしまいがちなだけで
そこまで深く考えて言ってない人も多そう
自分の価値観で受け入れられない行為を省いたものを対等な関係って各々が言ってる
自身の中での箔付けみたいなもん
これ
そもそもBLにして受け攻め決め付けてる時点で対等じゃないし、人間社会自体が対等とは対局(特に日本人)だから、アテクシのカプは対等!とか抜かしてる女見ると、何言ってんだこいつ?まさか頭の中身まで腐ってんのか?と思う
書き手がどっちのキャラもちゃんと好きで大事にしているのが対等だと私は考えています。
A×Bなら、相手は一応BにするけどAにしか関心がない、とにかくAが書きたいだけだけみたいなのはBはAの添え物というか・・・。
対等じゃないと思います。
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