私は絵を描くとき自分なりにベストを尽くし、それなりに良い出来だと...
私は絵を描くとき自分なりにベストを尽くし、それなりに良い出来だと納得して投稿します。しかし一年ぐらいして見返すと絵の崩れっぷりに気付き、なんというものを投稿していたんだと羞恥心でのたうち回りたくなります。
一年前より上達したと感じる現在の絵も、他人から見たら昔と五十歩百歩で下手なんだろうと思うと恐ろしいことです。
幸い今も自分の絵を全く客観視できていないので問題に気付かず毎日楽しく絵を描き続けられるわけなのですが、なぜ描いたときは下手さに気付けなかったのか、なんなら自分は結構上手い方だと思っていたのか理解できません。描いた直後は絵を客観視できないとはいえ、お手本のように整った美麗絵が氾濫するこの世界で、自分の絵が崩れているか崩れていないかすら判断できないのはなぜなのでしょうか?
神絵師になれば、実際の完成度と自己評価のギャップは解消されると思いますか?
みんなのコメント
お気持ちとても分かります。私も毎年過去絵を振り返るたびのたうちまわってますが、恥ずかしくなるのは成長している証です。画力が上がるたび絵の描き方(仕組み)を観察考察する力やできること、こだわりが磨かれるので、過去絵の不足分に気づけるようになります。ここで違和感を覚えないようだと「本当に好みに描けた」「成長していない」かのどちらかの可能性があります。
また、人の絵だと描いた時のしんどさや掛けた時間は体験していないのでしっかり絵のみ見れますが、自作の場合すべてわかってしまうので客観的に見にくい傾向にあるんだと思います。人間、努力は報われたいと思うものなので。
また、うまくなるほどダーニングクルー...続きを見る
トピ主です。
自分の努力が報われてほしいと思うバイアス、とてつもなくあります。
気に入らなくて手を掛けて修正した絵ほど、後から見ると完成度と自己評価のギャップが激しいです。
出来にムラがあっても一定水準の範囲なら心穏やかなのですが、想定を超えた崩れ方をしていることもあり本当に心臓に悪いです。
成長の証だと自分に言い聞かせてダーニングクルーガー(教えていただいてはじめて知りました!)グラフの右側に行けるように頑張ろうと思います。
すみませんダーニングクルーガーは真逆の効果の名称でした 再度調べたのですが調べ方が悪いのかうまくなるほどまだまだと感じる名称見つけられず...申し訳ありません
「自分の能力を過大評価してしまう。能力の高い人については自分の能力を卑下してしまう認知バイアス」とwikiにありましたのでご説明のとおりだと思います。絵のように、成果が完全に目に見えるものでも認知バイアスがかかってしまうんですから、余程強力な現象なんですね。
デッサンというのは対象物を観察する訓練なんですよ
つまり普通の人間は訓練しないと目の前の物ですら絵に書き写せないんです
美麗絵が隣にあろうが見ているだけで観察していないから自分の絵を描くときに生きてこないんじゃないですかね?
個人的に上手くなればギャップは小さくなると思います
でもなくなりはしないでしょうね
こんな絵描きたいなって思い浮かべる脳内イメージって実はすごく曖昧でぼんやりしてるんです
そのイメージを紙に書きながら細部を詰めていくと形がはっきりしてきて、ぼんやりした理想とかけ離れていく
脳内のぼんやりしたイメージは絵では絶対表現できないので解消されることはないんじゃないか...続きを見る
トピ主です。
私は一次創作で、原作などを観察せず脳内から直接自分の画風を搾りだそうとしていたので尚更観察が足りてないのだと感じました。
世の中には美しい比率がたくさんありますが、私の絵柄とは違うしな…と眺めるに留めてしまっていたような…。
早く上手くなるために観察にも時間を割いてみようと思います。
そして絵が上手な人も、理想とのギャップに悩まれることがあると思うと親近感というか…少し安心感があります。
葛飾北斎のエピソードを思い出すんだけど
当時すでに名が知られ、あれだけ多作で貪欲な作家が晩年「猫一匹まともに描けぬ」と涙したそうな
しかし逆に、自分の作品に満足しなかったからこそ彼は晩年も創作意欲が減衰せず描き続けられたとの評価もあり
満足しないということは一概に悪いことでもないなと思うよ
質問とはズレちゃったかもしれんごめん
理想とのギャップを解消するのはたぶん無理、仮に満足してしまったらきっとそこで絵描きとしては成仏する(描くことがなくなる)時なんじゃないかと思います
ありがとうございます。とても励まされました。
画狂老人卍がそれを呟くと「十分描けてますから!」と大量リプがつくはずですが、本人の中で作品と理想とのギャップがあり、それを埋めることが創作の原動力になるって無限機関ですよね。
「ウワーー何てものを描いてんだ」というこの爆発しそうなエネルギーを寧ろ積極的に利用した方がいいのかとすら思えてきました。
某映画で「絵が下手だと気付くのは前よりも絵が上手くかけるようになりつつあるから。その時が頑張り時なんだ」みたいなセリフがあって、それがずっと頭に残ってる。
トピ主は今頑張り時なんじゃないかな。
私は調子乗り期間入ってるけど、多分もうちょっとしたらその時期が来るし、頑張り時だと思って耐えようと思ってる。
神絵師って周りから思われるようなレベルになったとしても多分悩みは変わらないけどね、そうやってどんどん上手くなってったら過去の絵が50歩100歩よりもずっと遠く離れたものになっていくんじゃないかな。
そんな今の私の気持ちにジャストフィットしそうな映画が…。
たしかに1年前の絵は恥ずかしいのですが、ずっと前の自分の絵になるともはや許せるというか「こんなとんでもないバランスの絵のときもあったな」と心穏やかに見られます。それでも当時自分は絵が相当上手いと自認していたので図太すぎるだろと思うのですが、慢心できるから描き続けられたのも確かです…。慢心と自爆を繰り返しながら頑張ります。
すごいわかる…
突然過去絵に反応もらって通知欄に出てきたりすると発狂したくなる。消したいけど遡って見るのすら嫌というほど嫌だ
おま…よくこれアップしたなって思ってしまう
トピ主です。不意打ち過去絵、血の気が引く一方でそれでも反応してくれる人がいることにはちょっと救われてどうにか気を失わずに済む状態になります…。気付けなかったってレベルの違和感じゃないのにリアルタイムでは気づけない。でも他人から見たら今の絵も過去の絵もそんなに違わなかったりするんですよね。
すごくわかる
完成したての時はめちゃくちゃ良いな〜と思うのにアップした途端から段々何だこれになって最終的に見るのもキツくなる
支部から下げたいけど目に入れたくなくて放置してる作品ある
好きな絵師がよくリメイクしましたって絵投稿してるけどあんまり変わらなくて正直前のでも全然いいよなって思うから気にしてるのは描いた本人だけなんだろうな
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