小説の視点描写について 他トピの話題で疑問に思ったので質問です...
小説の視点描写について
他トピの話題で疑問に思ったので質問です。
小説には一人称視点、三人称視点など色々な書き方があると思うのですが、三人称一元視点と一人称視点、三人称多元視点と三人称神視点の違いがいまいち理解できている自信がないです。
例えば「おばあさんは川へ洗濯に行きおじいさんは山へ芝刈りに行った。おばあさんが川へ行くと桃が流れてきた」というシーンを各視点で書きたい時、
一人称視点→「山へ向かう主人を見送り、私は洗濯のため川へ向かった。川へ着くと、なんと上流から桃が流れてくるではないか。私は目を疑った」
三人称一元視点→「山へ向かう翁を見送り、嫗は洗濯のため川へと向かった。川へ着くと、なんと上流から桃が流れてくるではないか。信じがたい光景に嫗は目を見開いた」
三人称多元視点→「翁が山へ向かった後、嫗は洗濯のため川へと向かった。翁が今日の夕食は何だろうと呑気に考えて芝を刈っている時、一方の媼は川から桃が流れてくるという信じがたい光景を目にしていた」
三人称神視点→「翁が山へ向かった後、嫗は洗濯のため川へと向かった。この後自分の元に訪れる異変など知る由もなく、二人にとってはそれがいつもの日常だった」
何となくこういう感じかな?という理解をしていますが、これは正しいでしょうか?
普段主に三人称一元視点で執筆しているのですが、読み手から見て一人称視点と混同してしまう描写になっているのではないかと不安になりました。
もし間違いなどあれば例を使って「その視点なら正しくはこういう描写だよ」というのを教えてもらえると助かります。
みんなのコメント
こちらが参考になると思いますので読んでみると良いと思います
https://koubo.jp/article/24640
https://koubo.jp/article/24641
自分も同じ事で悩んでました
三人称一元視点、心の声が入ると一人称視点っぽく見えるのでややこしいですよね
個人的に
一人称視点→カメラマンが主人公自身
三人称一元視点→主人公専属カメラマンがいる(たまにカメラを通して主人公の心の声が聞こえる)
三人称多元視点→それぞれのキャラに専属カメラマンがついていて場面によって映るカメラが切り替わる(それぞれ担当しているキャラの心の声だけが聞こえる)
三人称神視点→文字通り天上から下界を見下ろしている神視点(キャラの心の声も聞こえることがあるが、神自身が喋る事が多い)
こういう感じのイメージです。
なのでトピ主さんの例文は個人的に間違っていな...続きを見る
三人称一元視点の前提で書いたとして、
「山へ向かう翁を見送り、嫗は洗濯のため川へと向かった。今日はいい天気だ。少し暑いくらいかもしれない。お爺さんが熱中症で倒れないといいんだけど、あの人は水分補給をサボりがちなのよねぇ。ちゃんと水筒持っていったのかしら。そんな事を考えながら川へ着くと、なんと上流から桃が流れてくるではないか。信じがたい光景に嫗は目を見開いた」
こういう心の声が多い文章は一人称じゃないか?ってここだと言われがちだよね。
逆に一人称視点だけど、
「山へ向かう主人を見送り、私は洗濯のため川へ向かった。眩しい日差しに照らされ、背中にジワジワと汗が滲む。頭上を飛ぶ鳥たちは夏日など...続きを見る
問題ないと思う。三人称一元視点と一人称視点が混同されがちな理由もそれかと。
節が複数にわたると「媼は」「私は」という主語が埋もれがちだからねえ、かといって主語を繰り返すとリズムが悪いし。
(話は変わるけどコメ主さんもトピ主さんも例文上手いね)
それぞれ合ってると思うよー
一人称は完全に「ひとり」の思考を追って描写されていくから、ワンシーンや場面ごとに「ひとり」の視点や思考が入る三人称一元視点とは混ざらないと思う。
私は読んでる余白を消される事の多い一人称視点がだいぶ苦手だからそう思うのかもしれないけど、一人称で書かれている小説と、三人称で書かれている小説は地の文が明らかに違うから心配しなくて大丈夫だよ
横からですみません…!
三人称で人物の内面を極力省いて感情の動きは動作などで表現する技法は何と呼ばれるでしょうか?
神視点かなと思ったのですが、物語でいちばん有名な川から桃が流れてくるシーンの驚愕や、持ってかえるに至る部分はどうなるでしょうか?
どんぶらこっこ、すっこっこのフレーズは入れますか?
読者層は絵本でも古文でもなく、子供から大人まで楽しく読める新美南吉やアンデルセンと言った童話程度です。
客観主義的技法じゃない?
極力心情描写排除して、動作や台詞で読み手に考えさせる、推測させる感じって事だよね?
「……なんだあれは」
目の前には、どんぶらこ。どんぶらこと大きな桃が流れている。その異様な光景に息を呑む。そしてハッとする。
「食料!」
そこからは早かった。ざぶりと川に飛び込み、必死に波をかきわけて、流れる桃を抱き込んだ。そしてザブザブとなんとか川を上がる。
みたいになるんじゃない?
11が言うのはトピ例文で言う神視点じゃないかなぁ
12の文章だと客観的な文章と言うより主観的な文章で一人称視点に見える
それこそ桃太郎の原作絵本みたいに語り手がそれぞれの行動を語ってる感じがイメージに合うのでは?
→川から桃が流れてきたのを見たおばあさんは腰を抜かしながらも、何とか桃を引き上げ家まで担いで帰りました
みたいな感じで
どんぶらこ~のフレーズは別に視点に影響する部分じゃないから書き手の好みや文体によって入れても入れなくてもいいと思う
12
息を呑む、は客観的に見える動作だからいいとして、「ハッとする」は客観的に見てわかる動作と言うより本人の心の機微を表す文章だから一人称視点になっちゃわない?
必死に、っていうのも主観的っぽい表現な気がする
客観的に表すなら「流されそうになりながらも何とか波をかきわけて」とか「焦ったように手足を藻掻かせながら波をかきわけて」みたいな感じの方が合うかも
客観主義、ですね…!実は私がこの文体の愛好家なんです…!
そうです、読み手に自然と登場人物の内面を推測させるやつです!
おばあさんの反応が野生過ぎて、山野で生き抜いてる玄人感がヤバい…これで普段優しくほのぼのして桃太郎を孫のように育ててたら凄く好きになってしまう…
13
腰を抜かした、でへなへな崩れ落ちてアウアウしてる姿が入ってどれほど非現実的な出来事だったか分かって好きです…
神視点でオノマトペって難しいですよね…
個人的には童話なら作品のテイストが出るので入れたいなと改めて思いました
「オルゴールの踊り子はいつまでも、くるくる、くるくると踊り続けました」だと儚げだし、「ぎょろりと睨みつけた」だと荒々しいし、「木がざあざあと」だと不穏だし…
入れたくないのは社会派ものなどですかね
14
客観視を突き詰めていくと悩むんですよ…!
おばあさんが本能で動いておられるので、
川はかなりの急流だが、おばあさんは下りゆく桃からひたと視線を外さず口を一文字に引き結び、見る間に華麗なクロールで距離を縮めていった、とかですかね…。
神視点とかそういう話ではなく、これは「技法」の話だよ。
登場人物で
異様な光景に驚いて息を呑んだ。とは書かないで
息を呑んでハッとする。という動作だけを書く。これで「驚いた」という心情が伝わるよという技法
悲しみのあまり泣き叫んだ。と書かなくても
「もう嫌だ!」と響き渡る声に涙が溢れた。と書けば、悲しくて泣いてるんだろうなと推測が出来るよねという話。勿論前後の文で悲しみを強めたりするんだけど
視点がどうのの話ではなく、コメ主さんへの返答は技法の話だから13と14はちょっと話が違うよ
19
そもそも11は「三人称で」って前提の質問でしょ?
12の例文は三人称視点になってないよ どう見ても一人称視点
○人称はその名の通り主語がどう表現されてるかの話でしかないから
厳密にはコメ12は何人称なのか判断できないのでは
日本語は主語を省略しやすい言語で、12には主語書いてないから…英語ならこういうこと起きにくい
IかYouかItのいずれかで判断付くから
んで人称の話と感情を直接書く書かないは関係ない話ってのはそうだねと思うよ
これも英語で考えたらわかりやすいけど、感情を直接書くか書かないかは
主語じゃなくて動詞とか形容詞をどう使うかって話とだからね
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