半モブを主役にした長編二次創作は「オリジナルでやれ」と思いますか...
半モブを主役にした長編二次創作は「オリジナルでやれ」と思いますか?
半モブの定義は以下とさせていただきます。
・複数回登場しているが、背景に等しく目立たない
・キャラの名前を記憶している人がほぼいない
この手のキャラは詳細な設定が公開されていないことがほとんどです。二次創作で長編の主役にする場合、自分で設定や性格を考える必要があります。
そうなるとほぼ1からキャラを作るのに等しくなり、どうしても1.5次創作のような作品が生まれる。
これに対して「もう一次創作でやれ」「キャラを私物化するな」と思う人が多いのでしょうか?教えてください。
みんなのコメント
ぶっちゃけ書き手の態度次第
そういう部分を想像して書くのも二次創作の一種だと思うし好きな人がいるのも分かる、自分も物によっては好き。でも書き手がいわゆる高尚様系(この度私は誰の目にも止まらぬ舞台装置に過ぎなかった彼に一人の人間としての意志を与える事に致しまして…みたいな)だったり自分の設定を公式みたいに語り出すような人だとオリジナルでやれば…?と思う
作品の内容よりも書き手がどんな人かによって決まる、ということですね。書き手は読み手が不快にならないよう配慮をすることは大事だと私も思います。
どれだけ書こうが自分は作者ではない、書いてるものは公式ではなく自分のオリジナルなのだという意識もあった方がいい。
オリジナルでやれと言われようともやり遂げる!!
っていう意思が強くないとそういう創作って完成できなくない?
ぶっちゃけレーティングと最低限の注意書きさえ書いたら、自分の裁量でやっていいと思う。
ちなみに私はは半モブ視点とかモブ視点の小説好き!世界観がより深まる感じとか、登場人物を客観的にどう見られてるかっていうメインキャラの解像度が上がる感じがイイ!
確かに、この手の作品は自分で考え補完しなければならない点が多いため、かなりの熱量がないと描けませんね。
また主役は半モブ(モブ)でも、その視点で描かれる他キャラたちの描写は素晴らしいですよね。その描き方じゃなければ味わえない良さは確実にあります。
なぜその半モブを主役にするのかにもよりそう
半モブがライバルチームのマネージャーだとして(選手たちはモブではなくちゃんとキャラ設定や出番がある)マネージャーから見たチームの成り立ちとかキャプテンとエースと新入部員の関係、主人公チームとの関わりなんかを描写する長編だったら、視点を置くのが半モブというだけで内容は敵チームについての創作になるから二次創作でしか描けないものになると思う
そうではなくマネージャーの高校生活がテーマでチームのことは添え物、原作で設定のあるキャラ達はちょこちょことしか出てこなくてメインはマネージャーとオリキャラ男子の恋愛みたいな感じだとオリジナルでいいのではとなりそう
このジャンルでやる必要あるの?
と思われるか否かが、「もう一次創作でやれ」「キャラを私物化するな」と言われるかどうかのラインなのかもしれませんね。
主役が誰だろうが、「この話はそのジャンル・そのキャラでなければいけなかった」と説得力を持って証明できる作品なら文句を言われることはほぼないと思います。
やればいいじゃん楽しいから。原作ではほとんど性格の描写がなかったキャラが映像化して肉付けされたので(短いシーンだけど)その辺りの設定他をお守りにして20万字の長編書いた。当然読む人は少ないんだけど別に数が欲しくて書いてる訳じゃなかったし、読んでくれる人がいる(カウンターが回った)ことを感謝する気持ちになる。カウンターが回る=読者がカウンターを回した=読者は神 だった
楽しいからやればいい、という動機はとても大切ですね。
数字は気にせず、自分の本当に好きなものや描きたいものを書けるのは非商業創作者の醍醐味です。
二次創作としてありだと思う。
うまく動かしてメインキャラたちと絡むことでキャラの魅力やストーリー展開の面白さを引き出せるなら、物語作りが上手い人だなぁと思う。
メインキャラがちょっとしか出てこなくて、半モブだけでどんどん話が進むと「一次で良いのでは…?」となるけど、そうはしないんだよね?
ただ、半モブのキャラ設定が自己投影しすぎで痛かったり、都合よく半モブ総受けやただのハーレムになってるのは「夢でやれば?」と思う。
あとどんな目立たないキャラにも推してる人がいるかもと思えば「半モブ」と表立っては口に出さないかな…ここで説明のためにそう呼んでるだけだと思うけど。
おっしゃる通りです。ここでは一言で分かりやすく説明するために半モブという言葉を使っていますが、特定のキャラ名を出す場合は控えたほうがいいでしょう。
また、どんなキャラだろうが「ドリの器」にされているかどうかって読み手からはビックリするほど分かりますよね。本当にキャラが好きで書いてる人は、作中描写や公式設定に対するリスペクトを感じます。
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