もやもやの吐き出しです。このことについてみなさんがどう思うかも聞...
もやもやの吐き出しです。このことについてみなさんがどう思うかも聞きたいです。
Twitterが今のようになる前、Twitterができる前は、もっと自由に好きなものを描いていた気がするんです。
いつの間にか評価数が多いものが良いということに縛られるようになりました。
他人に良いと思ってもらえなければ、共感してもらえなければ、
それは良い作品ではない。そんなことを考えてしまいます。
商業で売れている作品は確かに素晴らしいですし、大手やフォロワーの多い人の描いている(書いている)ものも完成度が高いです。
それは現実としてあって、でも、もっと他に道があった気がするんです。
自分は見失ってしまいました。
皆さんはどうですか?
他人に評価や共感されなければ良い作品とは言えないと思いますか?
漠然とした疑問ですみません。色々な考えをお聞きしたいです。
みんなのコメント
ネット断ちすればいいよ
紙とペンさえあれば創作はできるし
他人に褒められる機会がなくなれば、自然と自分自身で自分を褒めれるようになるよ
「良い作品」と判断する基準が自分にないと辛いと思う
評価数の多い作品、売れてる作品が良い作品だというのも一つの考え方だけど、趣味で創作するならそれだけだと苦しくなるよ
大ヒットしてても自分にとっては良い作品ではないものなんてたくさんあるから
良いと思ってもらえなければ、共感してもらえなければ、それは良い作品ではない
うん、それはそうだね。良い悪いなんて価値観は所詮人が決めるものだし絶対的な基準は無いし
気にしいからするとTwitterのいいねの数字なくなってほしいなあ
確かに昔は数字の評価なんて気にならなかった。
見てもらえさえすれば良かった。
4桁5桁いいねが普通の大手の人はやっぱ数字がついてくると安心するのかな??気になる
他人の評価・反応ありきの作品作りをすると、自分を追い込むことになる
良い作品と持て囃されるかもしれないけど、自分が楽しめなければ心は満たされないんじゃないかな
たしかに〜
Twitterの「いいね多いね!有名人だ!」みたいなノリが苦手かも。
ツイートとか絵しか見てないから人自体はそんな有名でもないだろ…と思う。
有名人になりたくてTwitterで絵を載せてるような気持ちになってきて、なんだかやだなぁ…って思う。
ただ絵を描いて数人の友達や兄弟に見せたりして楽しかった子供の頃はよかったな。
あとサイト時代も、絵は上手くないけどサイトの装飾とか色々こだわって、同じ趣味の人とわいわいするの楽しかった。
今じゃ数字による嫉妬やらマウントやらで溢れてる気はする。数字多い人にペコペコしてる感じ…
同列で仲良くするのではない感じが何だかなーって思いま...続きを見る
二次創作ですかね?
良い悪いというか、界隈の多数に求められているか否かな気がします。
私の場合、界隈で大絶賛されているものが全く刺さらないことなんてざらにあるし、逆に何でこれが評価されてないんだ?っていうのもあります。
レビューを見るように、人が良いって言うからじゃあ見てみるか!って人も多いと思いますよ〜
あまり自分を追い込み過ぎないでください。ちなみにくるっぷはフォローフォロワー数、いいね数非表示に出来ますよ。
ご参考までに。
自分が描いた自分の「良い」は自分のもの。
他人がくださったいいねブクマは、「ああ、他人にも刺さったんだ」って「UPしてよかったなぁ」ってほっとするけどそれはあくまで他人の感想。
別もの。
自分の作品に不満があるなら自分が満足するまで努力するしかない。
昔はこの作品は良いもの!質の悪いもの!みたいな区別なかったような気がする。
私が知らなかっただけなのかな?
評価がどうのって言葉をサイト時代には聞いたことがなかった。
評価というか、カウンターやBBS拍手数コメレスとかはあったね
そういうの比べて病んでる人は昔から2chとかにいたよ
自分にとって大好きな作品でも世間の評価は振るわないということが多々あるので、世間から評価されることと良い作品はイコールではないと思っています
商業的な成功を目指すのであれば、大衆からの支持は必須になりますが…
どこに目標を定めるかによって「良い」の基準は変わるのではないかと思います
自分の好きな怪談師さんが「僕らの話すことは、人の死を扱ったり悪意に満ちたエピソードばかりで不謹慎な内容と言えるし、人によっては不愉快な嫌な話かもしれない。でもこういう話で救われる人というのもいて、僕はその救われたと感じる人たちのために、多くの人に嫌われることを承知のうえで話していきたい」といった内容のこと...続きを見る
サイト時代は作品を見てもらえない人が多かったから、評価される段階まで進めなかった
人が来ても拍手押してくれない米が来ないって嘆いてたし
渋ツイ黎明期には閲覧数、ブクマいいねの数字に救われていた人もいたよ
誰かが見てくれた、米は来ないけどブクマしてもらえたって
個人サイトやブログが二次で流行ってた頃は今より皆自由で伸び伸びやってたような気はします 思い出補正もありますが
言い方はアレだけど大衆に迎合したり流行りに乗ったりしないでマイペースに自分の好きにオタクやってた人が多かったなぁなんて思います
自分の観測する範囲の話ですけど
Twitter以前の世界の記憶がない事に気づきました
私的にはこの人はすごいなぁと思うと自分に足りないものを気付かせて貰えて励みになっちゃうので、新しいものが受動的に摂取できるTwitterは参考にしやすくてありがたいです
見せる側だけを意識しすぎず、見せて貰う側である側面もドライに、ツール的に使いこなせればもっと楽になれる気がします!
即物的に自作品の数字と数字をつきあわせるのでなく、いいねの多い作品の中身を覚えておいて、必要な時に引っ張り出して研究してます
個人サイト時代って、下手でもなんでも皆それぞれ「一国一城の主」になれたのが良かったなーと思います。
SNSのアカウントだと自分の城って感じが希薄ですよね…。
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