要約力がないと創作でも苦労するでしょうか。 会話だと要約力...
要約力がないと創作でも苦労するでしょうか。
会話だと要約力がないと言われますが、小説は評価していただくことが多く、ストーリーのまとまりがない訳ではなさそうです。
会話の要約力と創作の要約力は何が違うのでしょうか。
みんなのコメント
何が言いたいのか分からないと話が長いは違うから後者なんじゃない?
会話で結論に至るまでが長いともっと要点まとめてくれってなるけど小説なら結末に辿り着くまでに多くのシーンがあっても何らおかしくないので
「瞬間的な思考」と「冗長性の許容」じゃないでしょうか。
以下持論です。
■瞬間的な思考
会話での判断や思考というのは、かなり瞬発的なものを求められます。
それに対して、文字媒体の思考は次巻敵猶予もあり、かなりゆっくりじっくり考えることが出来たりします。
筋力に持久力・瞬発力の違いがあるように、思考力にも持久力・瞬発力があったりします。
知識や経験が豊富で、かつそれらをアウトプットする頻度が多い人ほど思考の瞬発力は高めです。
ただし、思考に偏りが出やすかったりもします。(いつも話している話で終始してしまう、など)
また思考が完全でないことも多々あります。(例を4つ挙げると...続きを見る
自分の母親は、1~10の話があるとして、こっちは8,9,10辺りを知りたいだけなのに、1から2,3~と始めて最初から最後まで全部を話そうとするんだよね。
こちらが何を知りたがっているかを察せないというのもありそうだけど、母親にとっては要点とかじゃなく全部言いたいことだから話してるだけなのかも。
小説はある程度自分主体でも話を進めることは出来るけど、会話となると訊かれていることを理解してそれに適した応答をする必要があるからむしろ相手主体の作業になるんじゃないかな?
芸術家がコミュニケーション得意とは限らないし、作話と会話とはまったく別の能力な気がする
会話がド下手でコミュ障だけど文章上手い人なんていくらでもいるから、別に何の関係もないと思う。逆もたくさんいるし。「文章が上手いのになんで会話は下手なんだろう」というトピ主の疑問そのものが奇妙に感じる。
あえて説明するなら、小説は一人だけで展開するけど会話は相手があることだから、自分の考えをまとめることはできても相手の気持ちを察したり空気を読めない人は「会話下手」になると思う。トピ主が言われる「要約できてない」も自分だけ延々と喋って相手の言うことを聞けてない、聞こうとしてないんじゃないかなという気がする。
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