作品で「ああでもないこうでもない」系の文章を長々と書いてしまう方...
作品で「ああでもないこうでもない」系の文章を長々と書いてしまう方いますか?どう対策されましたか?
この手の文章って適当に使うなら話に奥行きが出ていいと思いますが、使いすぎると冗長な印象を与えたりテンポが遅くなりますよね。
自分は字書きなのですが、小説で下のような文章をひたすら書いてしまう癖があります。
「あれは〜〜だったのだろうか。いや、〜〜かもしれない。〜〜なのだから、多くの場合、〜〜と考えるのが自然だろう。つまり、結局は〜〜なのだ。〜〜は〜〜でしかない。」
書く時に「ああでもないこうでもない」と考えながら書いてるせいだと思うのですが、無くすと逆に伝えたいことが伝わらなくなり難しいなぁと感じています。
このような文章を書きがちな方、どうしていますか?
また、無理に減らそうとせずにこれも作風の一つとして開き直ってますか?
みんなのコメント
科白の間の地の文で、ずっと続けて書いてるのかな。
私も結構冗長になるんだけど、地の文と会話と分けて、続けて書かないようにして見たらどうかな。私は説明したいけど削り難く手って場合はそうしてる。例↓
あれは〜〜だったのだろうか。
「いや、それはそう思うけど――」
「だったら君には別の意見があるのか?」(←会話の相手。もし一人ならここはなし)
いや、〜〜かもしれない。〜〜なのだから、多くの場合、〜〜と考えるのが自然だろう。
つまり、結局は〜〜なのだ。
「そうだよ」
〜〜は〜〜でしかない。
「だってそれは〇〇だ」
みたいな。最後が重複するけど、こういう書き方だとおかしくない...続きを見る
そうですね、台詞以外の部分で長々と書く癖があります。
そのように、所々台詞を挟むというテクニックがあるのですね。
自分の作品は内面描写や説明文が多く作品全体で台詞が少なくなりがちなので、なるべく入れるようにしてみます。
わかる〜!
自分もうだうだ悩む系の作品書いちゃう
でもそれが楽しいし、だいたい天井か上澄みだから、「みんなこういうの好きだよねー?わかるー!」ってなって、そのまま貫いてる
でも、うだうだ系の中には好みじゃないものもあって読みやすさにも差がある気がするな
何がその差になってるのか分からないので、分かる人がコメしてくれますように
書いていて楽しいのはありますね!
うまく書いてある作品の場合は、逆にそこが人を惹きつける要素となると知って希望が持てました。
良くない読みづらいウダウダは、読者が共感しづらい内容だったりテンポが悪いからとかですかね?
いただいたコメントを読ませていただき、「エンタメ小説」方面を目指すのか、「純文学小説」方面を目指すのか、方向性によっても変わるのかなと思いました。
キャラの心理的葛藤を描写することで、読者はどんな楽しさを感じるかを重視します
ただキャラが動かせないからとか、内面ルーチンを描写したいだけなら書きません
禅問答的な葛藤が物語のテーマや根幹に繋がったり、ボトルネック的な要素を突破するためとか、ここぞってシーンでのみ使います
あとは、作中で一番エモポイント高いよって場所かなあ
個人的な意見なんですが、ああでもない構文を使うのは、一作品につき一回が限度だと思ってます
私もよくやるよ~! 作風として開き直るが近いかな
自分がそういうの好きだし、読みたいからそうやって書いてる
あまりにも多すぎて気になるんだとしても、一回好きなだけ書いてから削る方式にするのがいいと思う
読み手ですがそれ大好き大好き大好き大好き
キャラが延々と己の内側に向けた思考を炸裂させている地の文の同人小説大好きです
キャラの思想をなぞるように没入できるので、書き手さんのそのキャラの解像度が高いほど言いそう〜! やりそう〜! 思いそう〜! 似合う〜! の連打で同人の醍醐味感がすごいです
ただ自分はもともと地の文延々系鈍器小説や純文学が好きなタイプなので、多数派ではないかもしれませんが…… 熱烈なファンがつくタイプの書き手さんにもそういった方は多い気がしています。
それがテーマのときは書くけど、ごちゃごちゃさせないように結局この話や章での結論はなんなのか?は決めておく、それに沿って推敲するようにしてる
AがBのことを、友情なのか?恋愛感情なのか?と悩む長編だとして、この章では「恋愛感情なのかは分からないけど単なる友情ではないと気づく」のが結論だとすると
俺は悩んでいた、これは恋愛感情なんだろうか、Bは俺の親友だ、それは昔から変わらない、だがもしただの友情ならば〜
みたいにダラダラと心境を書き綴りはするけど、きちんとその話の中で展開や気づきを与えて(たとえば友人Cには抱かない独占欲をBには抱くことに気づき)
確かにBは俺の親友だ、でもそれだけじ...続きを見る
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