創作を始めてから素敵な作品を見ても自分の拙さに嫌気が差してしまう...
創作を始めてから素敵な作品を見ても自分の拙さに嫌気が差してしまうようになり苦しいです。
小説を書き始めてから小説が読めなくなりました。思うように書けない自分が苦しいので、苦しみたいときにしか読めません。
でも流石にそれは勿体無いので意識を分散させようと別のことに手を出しました。絵を描いたり、楽器を習ったり、歌を練習したり、歴史や科学を勉強して考察に役立てたり、たくさん映画を見て創作に取り入れたり、ITを勉強して何か作ってみたり、動画編集をやってみたり。色々やったと思います。
その結果あらゆるものが無理になりました。
たくさん映画を見ている人にも、歴史に詳しい人にも嫉妬してしまいます。意味がわかりません。クラシックを聴くのさえ私の音楽センスほんとカスだったなあと思いながら聴いている始末です。
創作者あるあるだと思いますが、みなさんはこんなときどうやって乗り越えて来ましたか。
地雷が多岐に渡りすぎて詰んでます。
みんなのコメント
トピ主さんは努力家なんですね。そしてなんとなくですが完璧主義なように感じます。
でも、世の中に完璧なものってないんです。法律も映画や漫画、音楽・歴史上の絵画…すべてが当人たちにとっては『未完成』もしくは『今出せる限界』の状態で世間に出ています。そうなるのはすべて『時間』が足りないからです。
私はそうして苦悩している作家たちの話を聞いてからは、嫉妬の感情を覚えづらくなりました。ゼロではないですけどね。
だから今すでに出ているものが『すごいもの』だと信じすぎなくていいと思います、どれにもどこかしらの妥協がありますから。ただ『その妥協にまで自分は至れない』とご自身を責めるならお門違いですか...続きを見る
創作あるあるではないかも…???自分のジャンルのみに嫉妬して、それ以外は全く嫉妬しない人間です。絵描きです。
他のジャンルのものはすべて素材だと思っています。映画を見ても本を読んでもITスキルの勉強をしても、これをネタに絵に活かせないか?と考えている自分がいます。
同カプの書き手に嫉妬してしまうのは私もそうなので良いアドバイスはできないですが、他の経験は全部素材にして良いものを頑張って作り続ければいいのでは思います。
ちょっとだけわかりますというと軽くなってしまうけど理解できる気がします。なんでこうこんなに素晴らしいものが世の中にいっぱいあるのに自分が出すものはこんななんだろうとなるアレでしょうか。
小説についてですが、ここのどこかのトピで見かけた樋口恭介さんの「構造素子」という本のあとがきで作者が「結局のところ読みとは誤読のことにほかならず、理解とは誤解のことにほかならない」と書いていた一文に少し救われた気がします。私たちはみんな全ての意味で間違えている、だからもうすこしだけ構えを緩めてもよいのかもしれない、と思いました。というかこの後書きだけでもこの本読む価値あると思う。教えてくれた方ありがとう