字書きの方、可読性と統一感、どちらを重視しますか。 ひらが...
字書きの方、可読性と統一感、どちらを重視しますか。
ひらがなで書いてくれというようなことまで、漢字に変換する
ひらがなで書いてくれと云うようなことまで、漢字に変換する
だと、私の主観ですが、下の方が可読性が高いように思えます。
上は、ひらがなが連続して出てくるので読みづらいです。(今回のは、句点を入れれば解決するかもしれませんが、あくまで例なのでそこは突っ込まないでください)
でも、全ての「云う」を漢字で書きたいわけではありません。堅苦しい印象の文にたいときは漢字多めにすることもありますが、ほのぼの系の話ではひらがな多めの児童書みたいな文章が好きだからです。
ここで、変則的に一か所だけ可読性のために「云う」を漢字にすることについてどう思いますか。(あくまで例なので、「云う」以外の仮名遣いも含みます)
私が優先したいのは、正しさよりも読者にとっての読みやすさです。
ただ、正しくないと気が散って読めないというタイプの方もいるので、そういう人にとっては、連続するひらがなに引っかかることよりも、突然出てくる漢字の方が可読性を下げる要因になるかもしれません。
可読性を取るか統一感を優先するか、字書きのみなさんの意見を聞かせてください。
みんなのコメント
私は変換する単語に特に意味がなければ可読性をとって漢字にしたりひらがなにしたりします。だから作中で漢字で書く場合もひらがなで書く場合もあります。
自分の場合、地の文においては統一性を優先します
なので「という」と変換せずに書きますね…
ひらがな続きで可読性が悪いと感じたら文章そのものを変えてしまいます
例外はキャラのセリフくらいです(少し頭が悪かったり幼いキャラはひらがな多め、大人キャラは漢字そこそこ、古風な変人キャラは漢字多めなど)
悩みますよねコレ…
「ひらがなで書いてくれ」というようなことまで、漢字に変換する
ひらがなで書いてくれ というようなことまで、漢字に変換する
ひらがなで書いてくれ、というようなことまで漢字に変換する
ひらがなで書いて欲しい部分まで漢字に変換する
などの鉤括弧や句読点、半角スペースなどで工夫することが多いです。
また言い換えそのものを変えて可読性を上げることもありますが
その言い換えがキャラの言い方に合う合わないもあるので、飽くまで最終手段です。
字書きです。
質問の意図とはずれるかもしれませんが、可読性よりも世界観により漢字を使ったり使わなかったりします。
例えば大正や明治といったカタカナがハイカラな感じがある時代ならば「しばらく」は「暫く」にした方が文にその時代感が出ると考えてます。
逆に現代やファンタジーなら平仮名のままの方が良いと感じますね。
可読性の云々は漢字の変換の仕方で変わるようなものではない、という事です。
>ひらがなで書いてくれというようなことまで、漢字に変換する
>ひらがなで書いてくれと云うようなことまで、漢字に変換する
>だと、私の主観ですが、下の方が可読性が高いように思えます。
云うって常用漢字じゃないのでは?普段の文章で出てこない漢字を使うほうが可読性は低いと思いました。
無闇矢鱈漢字を使うよりひらがなのほうが読みやすいときもあれば、ひらがなの連続で分かりづらい(例えば「〜とかかかわらず」→「〜とか関わらず」みたいにひらがなが三文字続けば読みづらい)なら漢字にすればいいでしょう。
ただ、言うに関しては、云う謂うは明らかに小難しい意識高い系の小説でしか出てこない漢字なので...続きを見る
下の方が可読性が悪いです。
変に漢字変換された印象。
統一感より読みやすい方が嬉しいですが、常用漢字以外を漢字変換されてる方が嫌だと感じます
どちらかと言えば可読性かなぁ
私は下の方が可読性が低いと感じたので、結局のところ「自分が良いと思うもの」でしかないなぁとは思います
云う言うよりははるかに可読性は低いと思います。
敢えて使うということをあえて描写してくれれば、それまで「言う」でも楽しめると思います。
これって何て読むの?言うだよ、こういう字で書く時もあるんだ、みたいな描写もあったら突然表現が変わっても、ここはこの字でなくてはいけないということが読者に伝わりそうですけど。
本好き以外は読める人は少ないと思いますんで、読んでる途中で急に決め台詞のように使われても何?って思われるだけだと思います。
せっかく直前まで没入してたのに我に返らせてしまいそうな字の使い方はもったいないですし、あえて云うにしなきゃいけない理由が無いなら、普通の言うが一番可読...続きを見る
人によって可読性なんて変わってくる気がするので、作品そのものの雰囲気で決めます。
一次創作なら拘りますが、二次創作にはそこまで拘らないです。萌えるか萌えないか、それしかないので。