創作話でとても大事な物を「影踏み遊びの影」と表すのは おかしい...
みんなのコメント
影踏みの影って踏むのが目的というか、まぁそういう感じなのでそれを大切なものの例えに使うと「踏む」を連想してしまうよな…
「大切だけど踏み潰さないといけないもの」みたいな、そういうものに対して使うのならいい表現だとは思いますが単純に大切なものを指しているのなら少しう〜ん?となるかなと。
質問者です^^;
少し言葉足らずでした^;
ビー玉を粉々にするとそのビー玉の所持者も粉々になる、という設定で、目線の子はビー玉を割る側です
マジか!!
私、以前まんまそのまま「陰踏み」の題でSS書いてる。
主人公が、大切な故人の思い出を追いかけて、存命中に一緒に行った場所を一人で旅してる。面影追って当時ふたりでやった事と同じ事しても、どこまで行っても影が踏めない、追いつかない、って寂しい感じの話。
とりあえず大切な思い出を「影」と現して、「踏む」を軌跡を辿る、悼むの意で使った。評価も悪くなかったよー!
イカゲームみたいな、子供遊びが命や大事なものに直結するような設定や舞台なのかな。
影踏みの(自分の)影は、鬼に踏まれないように守らないといけないもの。
ビー玉はじきも相手のビー玉を弾いて砕けば勝てるけど云々みたいな感じ。
何にしても落ち着いて説明されないとこっちはまったく分からない話ね…
ちゃんと前提や設定などを記した上で、その言い回しが適当かどうかを問うような文面じゃないと第三者は「???」で終わっちゃう。
影踏み遊びの影というと追いかけるイメージの方があるのと、踏んで捕まえるので大事なものという印象からは少し離れてるかなと思います
あとどことなく薄暗い印象があるかな…
1度、憧れの人をようやく捕まえたという意味で使ったことがありますが、その時はヤンデレ風味だったのでそういう系統なら合うのかな?