創作者とROM専、どちらが幸せだと思いますか?
みんなのコメント
本当に見てるだけで満足出来るタイプのROMだったらROMだろうね。でも少しでも自分もなにか発信したい、界隈と繋がりたいとか憧れを抱くタイプのROMだったら苦しいだろうね。
ロム専が幸せ
だって誰かが誰かと仲良いとかいいね数とか○○さんの作品は素敵なのに自分はどうしてこんな下手くそなんだろうとか、そういうことに苦しまなくてもいいから
他人のこと気にせず創作を続けられるなら創作者側でも幸せだと思う
ROM専は創作物を純粋に楽しめる立場にあるので、より幸福と言える
ROM専が与えられたものを糧にすることで満たされる『完全なる消費者』の立場であると仮定したら、創作者は更に自身の創作活動とその成果によって満たされる人種の側面を持つと定義づけられるので、ROM専に比べて満たされるまでに払わなければならないコストが高い
その分報酬も大きくなるかというと、一概にそうとは言えない
となるとやはりROM専の方が全体として幸福と見なせる
ROM専の時期と創作者の時期を数年単位で交互に移動している。
ROMは気楽で楽しい。締め切りもないし、とにかく純粋に他の人が作った作品を楽しめる。
創作者だと自分が一番好きな設定の自カプを生み出せるし、同志様との交流も楽しい。
結果、どっちも楽しい。
ドンピシャな神がいればROMが幸せかもしれない
マイナーカプだから今のところは創作できて幸せだけどね
ROMの時はファーストフード食べる感覚で二次創作見てたし、感想も送ってたな。
精神的に幸せなのはROM専だと思う。
何かを発信したい!と思うと見てくれる人に依存してつらくなってしまう。
でも妄想が形になった時のあの気持ちはROM専だと味わえないんだよな…
どちらがってより、自分の心持ち次第でどっちでも幸せだと思うよ
その時の自分の立ち位置でしんどくなる人は別の立ち位置に立ってもしんどくなるし、幸せに思える人はどっちの立場になっても(多少嫌な事があったとしても)幸せにやっていけるもんだよ
自分の場合だと創作者になった時の方が幸せ度は高かった。
やっぱ自分の好みで描けるのと、それを好きって言って貰える嬉しさは格別だな~と思う。
でもジャンルによってはROMで充分って思う時もあるし、時と場合によるかなあ
ROMだな
オフもオンもやってそう思う
ドンピシャなサークル様がいたら活動してない
メジャーでもないのに労力に見合わない
ROM専、なかでもROM専で満足できるROM専
小さくはない承認欲求を抱えていたとしても苦しみは創作してないときの方が少ない
二次創作者全員コンテンツの提供者で自分その客的な意識のROM専なら最高に幸せだと思う
満足できてるなら圧倒的にROM専
創作なんてやるもんじゃないとずっと思ってる
時間もかかるし納得いかないし、周りが気になるし一生上手くならない
それでもなんでかやっちゃうんだけど
ROMかなぁ
でも描く側に回ると解釈違いとか見たい作品がない、とかそういった不満はなくなった
あと自分で描けばいいから本買わなくなってお金は浮くようになった
思うように伸びないとか人と比べたり時間に追われたり、創作つらいことばっか。いつでもやめてROM専になれるけど下手に創作できるとしたい意欲が湧いてしまう・・で最初に戻るループ
twitter有料化でフォロワーさんみんなどっかいったらこのループ辞められるかもしれない、チャンスかもしれない
ROMかなー
創作は創作で楽しいんだけど、いつも時間に追われたりしてすごく疲れる
創作を休んでる期間の方が健康的な生活してるし
でもどうしてもネタが浮かんじゃってアウトプットしないと苦しいから仕方なく創作やってる…
ROM
神や馬のROMお断り垢とか、自分好みのABが見たい!でも色んな理由で生産できない!とか、ROMならROMの悩みはあると思うけど、
公式+他人の作品見て満足出来るなら最高な事ないよなとは思うので
苦しみが少ないという点でROMじゃないかなぁと思いつつ、自分や自分の好きな絵師はROMブロ解してる鍵だから、この世の好きなもん全部見たい身としては身元証明としての創作物があってよかったかもと思う
圧倒的にROMです
出来ることならROMに戻りたい
でも今のジャンルで描きたいことが多すぎるのでしばらくは戻れそうにない
自分だけの価値観だと、創作側
ROMの時は「創作側に行ってみたい」ばかり考えてた
見てるだけじゃ満足できない
どっちも経験した結果創作側かな
一次にまで手を出すほど創作そのものが好きになってしまったので
自分の脳内にある理想の推しカプを出力している時間が最高に幸せ
数字に執着がないからかもです
精神状態は完全ROM(FF0)の方がマシ
創作してたり交流してた時はジェットコースターみたいで楽しかったけどメンタルは疲労してた
理想のカプは支部やツイで読んだり自分の妄想で補完できるので、原作に爆弾がない限りは心は平穏です
ROMかな
ただSNSがあるかないかでも違うと思う
個人サイト時代ならもっとまったり創作できてた気がする
自分では描く気もない好きジャンルならROM専がひたすら楽しい 作品を消費するだけだから何も考えなくていい
作品作ってる垢では評価されたらうれしいけど、他人と比べるとひたすら辛い
自分ではどっちでもジャンルを楽しんでるつもりだけど、なんも考えない分ROMのが楽しめる気がする
出力技術が成長するのは、当たり前だけど創作してる方
悩みがないのはROM
ROMの頃は商業漫画家も二次創作家も等しく尊敬してた
自分は供給を受け取るだけだからなんの不満もなかったからね
ただ楽しいのは圧倒的に創作!描いて楽しい、交流出来て楽しい、ちやほやされるしもうROMには戻れない〜
創作意欲0になったら戻るしかないけど
どう考えてもROM
一次やってるけど自分の好みパーフェクトの作品がないから描いてる
もしこの世に存在するなら自分が描いたものじゃなくてもまったく構わない
上手くなる素質がある人なら創作者、ないならROM
何年も創作してても一切上手くならない(=数字が伸びない)人は「楽しければそれでいい!」って精神の人じゃない限りみんな病んでいく
ROM専
ROM専なら嫌なことあっても後腐れなく縁を切れるし色んなものに縛られずに楽しめるから
創作者は長い目で見れば楽しいこと4:苦しいこと6(瞬間的なものなら楽しさ10)って感じでガチャやってるみたい
対価が時間(人生)だから、楽しみを思いっきり楽しめる人、面倒なことを割り切って遊べる人じゃないと続かない
創作する方が楽しいです。消費する方が苦手なものが多くて苦痛です。自分の脳内が好きだから楽しいです。
普段はROMの方が純粋に二次創作を楽しめて良いと思うこともあるけど、公式がひどい手のひら返しをしたとき、ROMの人達は呪詛を撒き散らすしかなくて辛そうだった。
自分も辛かったけど創作という捌け口がある分マシだった。
ツイッターでは絶対にROM
他人と比べない自分軸をしっかり持ってるなら創作者でもやっていけると思う。私はツイッターは無理でした
ROM
見れない作品多くはないし妄想してるだけで幸せだから
一度書けちゃったから次も書けるんじゃないかと過信して苦しみながら生み出してる
20年以上ROM専だったけど、今のジャンルに再燃したら好きな字書き達が絶滅していたので、仕方なく創作側に
めちゃくちゃしんどいですね、創作サイド
字書きが絶滅するくらいに字の需要は無く、でも絵は数えきれないほど神がいて栄えてるから、ジャンル内の温度差がすごい
好きだった漫画の描き手は、交流するようになったら「え…」な人格だと判明し、
気合いを入れた長編に、とりあえずいいねは押されるけど誰も感想なんてくれないし(絵描き同士は褒めあってる)、
最近は推しカプの絵を見るのがしんどくなってきたから、xは画像非表示にした
作品もまず相対評価でジャッジする癖がついてしまった
純粋に二次創作を...続きを見る
マイナーなので、しかも完全にオンリーワンなので、創作者でマジ良かったと思いました!!!
ROMだったら詰んでた
創作者。自分好みドンピシャ作れて寸分違わず楽しめる上に周りからは評価されてチヤホヤされて本まで売れるとか幸せ以外の言葉がない。最高に幸せ
ROMは楽しいけど未完にぶち当たったりもっと読みたかったにぶち当たると悲しくなるから創作者の方が断然幸せ。なにより、ROMで気に入ってた作品どころかフォローしてたアカウント自体が消されたらドン底に気分落ち込むもん。無理無理あの絶望は幸せとは真逆の不幸ど真ん中の気分になる
自身と解釈一致の神がいるなら圧倒的にROM専
神がいないという創作で始めると違う解釈を見かけるたびに苦しくなってしまうので
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