小説の中にダブルクォーテーションを使う人がいて、不快です。 一...
小説の中にダブルクォーテーションを使う人がいて、不快です。
一般書籍なら、傍点が打ってあるような場面で、多分pixivで傍点出す方法が分からないからなんでしょうが、“ダブルクォーテーション”で文字を囲んでいます。
なんだこれ…。
いったいどこで義務教育を受けたらこんな訳の分からない“ダブルクォーテーション”の使い方をするようになるんでしょうか…。
それとも私が無知なだけで、小説の中に“ダブルクォーテーション”が出てくるのは普通のことですか。
ほら“気になる”でしょう???気が散って読みづらいんですよ。
別にその人に“文句”……すなわち苦情のようなものを、お伝えする気はありませんが、誰にも“共有”できないので吐き出させてください。
みなさんは、“ダブルクォーテーション”を小説に多様する人と、人生が“交錯”したことはありますか?
みんなのコメント
普段トピ主がどんな本を読んでるか知らないけど今は一般書籍でも普通に使われてるような…
傍点だろうがダブルクォーテーションだろうが『』や《》で囲おうが読めればどうでもいいよ
連発されたらうざいけど
吐き出すだけならひとりごとトピおすすめだよ
トピ立てるなって注意してくる人って、トピの数が少ないほうが嬉しいの?
朝の五時から匿名掲示板に入り浸ってるのに???なんで??有意義な議論がしたいのに匿名掲示板にいるの??朝の五時から??どういうメンタル????
芸大で小説学んでた時に、小説に正解も不正解もない。芸術は自由だ、と教わったので何が使われてても気にならないですね。
得に二次創作や一次創作、趣味の範囲なら尚更。
一般書籍として販売する場合は編集さんからあれこれ言われることはありますが。それも会社によって規定が違ったりすることもあるので。
多用されると気になりますけどね。
論文の書式は学会規定に準じましょうは分かりますが、それを小説にも当てはめてしまったということですよね。
論文と小説は別物!と認識して表現は自由だしな!と思えるといろんな作品を楽しんで読めていいかもですね。
教授によっては表現は自由!という人もいますし、感嘆符なんて使うな!感情を文字で表現しろ!という人もいたので本当にそれぞれだなぁと思っています。大学の教授でさえ言ってることが違う世界なので……
トピ主さんの、小説にダブルクォーテーションは嫌だ!も好みのひとつなので間違いではないと思います。
学歴アピに見えたならすみません!
だからわざわざ旧帝大で物理とか言い出したのですね!普通に真に受けてしまいました。
なんか笑いました。
Air Quotesを多用するキャラクターみたいな鬱陶しさは感じます。それわざとやってますよね。と思うけど。
メガネくいっを四六時中やってる人みたいな鬱陶しさかな。
でも、ほら“気になる”でしょう???と言われるまではそれほど気にならなかったです笑
メガネくいっを四六時中やってる鬱陶しさ、的確な表現すぎました…
漫画だと特定のジェスチャー連発がこれにあたるんですね…
>>ほら“気になる”でしょう???
って書かれてみてもダブルクォーテーションより3つも重なったクエスチョンマークやクエスチョンマークの後に空白がないことの方が気になったので好みの問題でしょ。
平安時代の風雅な話とかで多用されてたら気になるけど、登場人物が外国人の現代ものならそれほど気にならないかも。翻訳ものの小説では普通に使われてるような気が?
トピ文レベルで多用されるとしたら、ダブルクォーテーションじゃなくて傍点を使っててもちょっと鬱陶しいかも
強調したいポイントを示す筈が、ここも!そこも!更にはここに!ってやられたら、痛文字で読んでる気持ちになりそう…
明治だったか大正だったか、あの時代の詩集読んだらトピ主はびっくりすると思う
文が回転してたり散らばってたり5ch並みに好き放題やっててマジで自由で笑える
細かいことは気にしない。気になるなら離れるのも手ですよ
半分読んだ小説を、途中でダブルクォーテーションが気になって話が頭に入ってこなくなったからといって、簡単に放り出せるかという話ですよ。
自分もよくみる気がする、と思ったら海外翻訳物を読むからかもしれない。技術書にもよく出てくるから、もしかしたら横書き文化にあるのかも。
いろんなものを読むと些細なことが気にならなくなるから、いろんなジャンル、時代のものを読むといいよ。腹が立つのも、違和感も大抵自分の問題。
トピ主さんのように読んでいて気が散ってしまう、という方もいらっしゃれば全く気にしない、という方もいると思います。それは文章を書く側も同じかと。
でも、せっかく面白かったり好みのお話に出会ったのに、ダブルクォーテーションが気になって読み終わった後に残った感情が負なのはもったいないかな、というのが一意見です。
上の意見にもあったように小説の中はある程度の自由が許されているので、これを機に少し視野を広げてみるのはどうでしょうか?
(現段階が狭いという訳ではなく、今まで当てていなかった場所を見てみるような感じです)
近年のライトノベルなんかは書き手がやりたいようにやっていて、新鮮な気持ちになり...続きを見る
https://kousei.club/double-quotation-mark/
まあ欧文や雑誌、論文でよく用いられますし、和文の小説に使用する抵抗感はわからなくもないですが、じゃあ同じ外国の記号の!や?はいいの?と言われると微妙ですね。私はそんなに気になりませんし、間違った使い方してないならいいかなと思ってしまいます。
あなたが嫌だと思うなら読まなきゃ良いんじゃないですか?
トピ主みたいに視野が狭い物知らずなだけなのに、自分が絶対正しくてあいつは間違ってる不快不快!!!って叫んでる人、自分が絶対に正しいと思えるその自信はどこから出てくるんだろう
トピ主さん実は中学生で国語の教科書が読書のバイブルなんじゃないか?
そういう人生もいいよね、自分の快楽を追求して大成するか朽ち果てるかわかんないけど頑張って〜
自分はダブルクォーテーションは気にならないけど、三点リーダーが二点リーダーになってる小説で同じ症状出てる
一回気になるともうそればっかり目に入るんだよね
これさえ直してくれればもっとあなたの世界に没入できるのにって唇噛みながら毎回読み進めてる
趣味なんだから書き手も読み手も好きにしたら良いと思うけどなー
不快なら作者ごとミュートブロックすればよくない?
いちいちツッコんでたら保たないよ
私の小説〝〟も――も多用してるけど最高に面白いから、トピ主もそういう作品に早く出会えるといいね
あと私の経験だと、学歴あったり頭いい人ほど柔軟だよ より俯瞰的、概念的にものを見るからね
どうでもいい些末なことにこだわるのには、何らかのコンプレックスが隠れているのかも?
どちらにせよ、トピ主が自身の作品でこだわる分には“美学”だけど、他人のそれがいちいち気になるだけならただの“浅学”かもね
関係ないけど被弾して猛省した
「ちゃんとした小説の体を為してない小説が自作より面白い/評価されてる」っていう事実にコンプ抱いてしまうのかな?
横だけど、ちゃんと反省してるならそれで良くね?
トピ主みたいにわざわざトピまで立てて、自分を肯定するコメント以外は認めない!!!みたいなマジモンのあたおかクソバカ女じゃないから、40コメは少なくともトピ主なんかよりはよっぽど人間できてると思うよ
自信持って
トピ文を読むと傍点なら例文のような頻度で使われてもOKとみなせるけど。
レスを読むとOKじゃなさそうだし、トピ主の主張は破綻してるね。
筋の通った文章すら書けない、そんなレベルの人が偉そうに説教してるとは面白い。
「多用」の漢字も間違えてるし。
本気で間違えたのなら可哀想だけど、恐らく釣りだろうね。
ここまで程度の低い人が存在するとは思いたくないよ。
縦書きの小説で頻発してると少し読みにくいかな?
そこまで気にしたことなかった。
それより返信コメントであっさり嘘つくの怖いよ
「」は日本でしか使わない記号で外国はクォーテーションマークを使うから、海外文学も読んでる人には違和感ない。
えっでも皮肉っぽく言う時とか強調する時にダブルクォーテーション使われてるよね……?
日本語だとカギ括弧の方が適切なんだろうけど、使うこと自体はおかしくないと思う
その人は海外文学好きでたくさん読んでる人なんじゃない?
普通にそのへんの一般ノベル書籍でも出てくることあるし、わざわざ匿名で言うほどかなぁ
支部なんかだと、傍点を付けられなかった時代もあるし、“強調”するためにダブルコーテーション使うのは大して気にならないよ
私は違和感ありませんねどちらでも
それよりも義務教育に引っ掛かりました
教育よりも、24コメのように何に触れて生きてきたかで影響されると思いますよ。
うちのカプにもダブルクォーテーションを頻発してる人がいるからお、おお〜……と思って思わずコメントしてしまった
個人的にはただの同人だし好きにすればいいと思うけど、読む時にめちゃくちゃノイズになるから自分はその人の小説を全く読まなくなったな
単語をダブルクォーテーションで囲まれてると誘導されてる感じがあって、トピ主の言う通り気が散るんだよね
物語の要くらい自分で見つけたいのだが……?と思ってなんか……
セリフの中にセリフを入れたいとき使っちゃうな
例だけど「あの人は“それも君の一部だから”って言ってくれたよ」みたいな……
「あの人は「それも君の一部だから」って言ってくれたよ」の方がいいのかな それともかっこ類使わない?
自分もセリフ内のセリフだったら二重カギカッコ使うな。
でもどっかをなんかの理由で強調したい、でも傍点って感じじゃない、セリフってわけじゃないけど誰かの言葉の一部を思い出したり、別の文脈でつなげたりする時に“”使うことあるよー。
「それも“君の一部”だから」みたいに。
トピ文のように多用されていたらウザイけどダブルクォーテーション自体は一般文芸でもよく見るよ
辻村深月だったか誰か直木賞獲ってる若手作家でも使ってたし、芥川賞作家や純文学の新人賞獲った若手作家(少なくとも5年以内)でもいたと思う……この数年以内に読んだ小説では海外文学じゃなくても普通に使われてた
とりあえず「交錯したことはありますか?」という質問には「著名作品を読んでたら日常的にある」としか……
太宰治や坂口安吾あたりが使ってた記憶はないけど、別にあの時代の文豪の小説だけが正解というわけでもないしな
別に気にならない 商業でも見るし
小説ってもっと自由なものなんじゃない?
“”よりトピ文そのものが読んでて不快だったよ
よくアメリカ人がしゃべるとき皮肉がちょっと入った強調するときに顔の横でダブルピースして指先だけちょいちょいって曲げて””の表現するから、その絵面が浮かんだ
小説はそんなにたくさん読むほうじゃないけど、地の文が読みやすくて話が面白ければそんなに気にならないかな 読んでるうちに慣れてしまう
漫画でもパースとかちょっとおかしくても面白ければ全然大丈夫
どうでもいいけど、旧帝大っていうのって六つの中の方の大学だよね。東大と京大はそんな言い方しないし。
つまりそんな言い方、実際に通ってる人は恥ずかしくてしないよ。ただのコンプレックスの塊なんでしょ。トピ主。
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