やめたきゃ勝手にやめれば?としか
やめるも始めるも自由なら、やめます宣言するのもしないのもその人の自由だと思います。
八つ当たりみたいじゃなくてまんま八つ当たりじゃん
急にいなくなると心配したり文句言う人もいるでしょうし、別のイベントで買おうと思ってた人にお知らせする意味合いもあるでしょうから、まあ他人のことでそんなに腹を立てんでも。
その手のSNS発言についてあれこれ言い出したら 「今日の夕飯はカレーです」 「北海道に旅行に行ってきました」 「仕事が最近ツライ」 「財布拾ったから届けた」 「スノボにハマったからマイボード買った」 「今週は勉強がんばる」 全部、どうでも良いことになりませんか? 結局は、トピ主さんが発信者自身に興味があるか否かです。 家族や友人の近況報告は、それだけで話のきっかけになります。 けど、それらの話題が話のきっかけにならないのなら、 それはトピ主さんと投稿者に距離や隔たりがある程度ある、ということ。 つまりは他人だからです。 そのサークルさんのファンに取っては切実な問題かも知れませんし、 友人に取っては心配になって「どうしたの?」って話を聞くきっかけになるでしょう。 結局はどういう発言かではなく、誰の発言か、というのがキーになることもあります。 トピ主さんに親しい人の発言でないから、余計にそう思うのかも知れません。 やめる宣言自体については、決別の意思表示だと思っています。 人間、何かを始めようという決めた時、それを他人に言うことで「いい意味で自分を追い込む」ことで 自身を奮い立たせて物事を始めたり続けたりすることが出来ます。 SNSで原稿の進捗を述べたり、誰に向けたのか分からない報告をするのは 「他人に言った」という体裁で自身を追い込むためです。 それは、何かを捨てたり辞める時も同様です。 「禁煙する!」「もうガチャはやめる」「明日は部屋の掃除する」 そうやって他人に言うことで自分を追い込みます。 禁煙宣言後にタバコを吸ってたら「あれ、煙草やめたんじゃなかったっけ?」と言われてしまうので、 言われないようにタバコをグッと堪えられるわけです。 同人辞める宣言も、その理由がポジティブなものかネガティブなものかはともかく、 辞めると宣言することで「もう戻らない」という決別の意思があるのかな、と私は思っています。 もちろん、お店が閉店を張り紙するのと同じように、告知の効果もあるでしょう。