頭ひとつ飛び抜けた「神字書き」になるにはどうすればいいのか? ...
頭ひとつ飛び抜けた「神字書き」になるにはどうすればいいのか?
先日、「上手いと思う小説の特徴をあげるトピ」がありましたが、そこに書かれていたような小説を書くには具体的にはどうすればいいんでしょう…。
上手い人の小説って、三人称描写に無駄がなく、どちらかというと読みやすく平易な表現を使っているけど表現が豊かで、心に残る場面がありますよね。
そういう文章に近付けるように何か心掛けていることやトレーニング方法はありますか?
よろしければ教えてください。
みんなのコメント
平易な表現を使っているのではなく、おそらく少し難しい表現も文中の流れで理解できる=表現の豊かさに繋がる
だと思いますが
皆まで言わないと分からない人?
文中でその言葉を知らなくても意味が通るように書けているか意識すれば、複雑な言葉も使える=表現豊かに文章を作ることができる
この言葉を使っても良いか?と悩んだ時に考え方の一つとして備えていないと、ただただ平たいだけの文章になる
>> 6mXl4Uskさん
>> 6XU3rwTFさんへの返信は?
どう?理解してる?
自分も6XU3rwTFさんの返信の通りだと思うけど、あなたの意見を聞かせてよ、参考にしたいから。
本をたくさん読むこととやってみたいと思った表現や書き方を取り入れて何度も書く。初めの頃より理想に近付けました。
煽りじゃなくて、自カプを100万字完成させるとブレイクスルーが起きるのは本当。
途中で止まったのは換算せず、きっちり終わりまで書いたのが100万字を超えたあたりでかなり考えなくてもキャラが動いてくれるようになるし、表現の幅が増える。
長い時間かけすぎると意味がないので、1年から3年くらいでできると進歩がわかりやすいよ。
表現の豊かさ向上させたいなら日記もオススメ。自分のその日の感情を書いて、なぜ、どうしてそう感じたかを平易な文章で書くクセが身につく。
小説を書く練習より、人生経験を豊かにした方が早い気がします。
お金を使って色々行動しろという事ではなく、色んな体験や経験をして、それで自分の中に感情の思い出をたくさん残す。
自分の心の中に強い思い出とか感情がないと、他人の心なんて揺さぶれないです。
強い感激や苦しみを知らない人が、他人にそういう感情を文章で伝えるなんて出来ません。だって知らないんですから。
よく本を読め、映画を観ろ、とおすすめされやすいのは、お金をかけずに他人の人生を追体験できるのが読書や映画だからです。
とにかく大事なのは、感情を知って蓄積すること、つまりは自分を含めた人間とその心を知ることだと思います。
上手い人の表現ってなんだろう…文章が短いのに中身が濃い気がする。
ああいう作品作るにはどうすればいいのか自分もわからんわ。
純文学読むにしても同人に求められてるエンタメ作品として参考にならなくない?
絵や小説に限らず何かを極めたり頭一つ抜けるには、脳みそ使って考えながらやり続けるしかないと思います。色んなところから拾ってくる。けどパクるんじゃなくてちゃんと自分の色として吸収して別のものに変化させるみたいな感じです。
小説ってすぐ上達しそうなイメージあるんですけど、意外とそうでもなくたくさん書けばいいってもんでもないです。ただ試行錯誤し続けることはほんと大事です。絵と同じく、賢い人は早く上達する気がします。私は凡人だったので頭ひとつ抜けたな(あくまで界隈で)と実感できた時は創作を始めて5年くらいかかってます。昔の自作品、感想文みたいでした笑。
知り合いの神字書きさんは外出時、自然...続きを見る
文章の良し悪しもありますが読んでて引き込まれるのはシンプルな表現なのに情景の魅力を最大限に出せる方でしょうか。
そういう方は文の構成と同じくらい活字以外の創作物や景色などのインプットが多いです。
そしてアウトプットは限りなく簡素でわかりやすい。
かなり難しい単語を羅列されてる方多いですがあれ本当読む気なくします…、
たくさん読む・書く、というのは大前提として、自分の強みを見つけておくのは案外重要なんじゃないかと思います
ひとくちに神字書きといってもいろんな人がいると思うんですよ。心理描写が巧みな人、ストーリーのエンタメ強度が高い人、(二次創作なら)キャラの解釈が独特かつ深い人……文章自体の魅力を高めるのはもちろん必要だと思いますが、きっとそれだけではない要素があると思います
どういうふうになりたいのか、どういった方向が自分に合っているのか、方向性を定めると成長度が変わってくると思います
一回映像で想像したものを文字起こしすると、情景描写がうまくいく気がする。
たとえばキッチンでお茶作って持ってくる一連の動作を書こうと考えたら、まずは主人公を部屋の中に配置して、座ってるのか立ってるのか、どのくらいの速度で歩いていくか、キッチンに電気はついてるか、キッチンは片付いてるか、主人公はそのお茶のことを好きかどうかとかシチュエーションを事細かに考えて、それをそのままなるべく簡潔に書いてる感じ。
なんか「電気つけたらシンクに洗い物が残っていたから洗わなきゃなと思う」とか「買ってはみたけどおいしいのかどうかよくわからないお茶」とかそういう日常でよくあることをちらっと書くと、情景が頭に浮か...続きを見る
マジか〜自分は逆の意見だわ。
小説の大筋やキャラ付けに関係のないことまでこまごまと書いてあるとむしろ情報の取捨選択が出来てなくて下手糞だなと感じる。
参考になるな〜と思って見ていたら真逆の意見出てきて混乱し始めた。
好みの問題とかではないんですよね…?
ちなみに字書きに憧れてる絵描きです。
ID変わってるかもだけどコメ主です。
説明のためにいろいろ書いちゃったけど、これ全部だらだらと書くわけじゃないよ!コメにも書いてるけど簡潔にちらっとだよ!
お茶飲もうと思ってキッチンに行ったとき、洗ってない食器が置いてあった場合「洗えよ!」になるか「仕方ないな」ってなるかとかもキャラ付けの一部になると思うので、ちらっとそういう描写入れるとキャラが立ちやすいよって話
なんか小説よりも漫画にした方が向いてる表現じゃない?背景描写をそのまんま文字起こししてたらそりゃ余計な表現がとっ散らかって長文になるよw
これ簡素にかけるの?簡素に表現してしまったら、ダメじゃない?情緒溢れる場面が伝わって来ないから、この表現方法は漫画描写が一番しっくりくる。例えばコミックエッセイの日常系ね。
字に限らずだけどこういうのは多少主観が入るからなー
自分的にはそういう本筋に関係ない描写をいかに余計と思わせないかって所に上手さが出ると思ってる
毎回事細かに書かれると微妙だけど要所要所で情景を想像する手助け程度にサラッと入ってるのが上手いと感じる
伝え方が難しい気がするけどwcDGPHQ0の言ってることわかる気がする。
日常の中でどういう行動を取るかって部分にすごく解釈が滲むなと思ってるし、そういう一文があるかないかでキャラクターの生きている感がグッと上がるような気がする。読んでいる時もそういう描写があると「〇〇くんだ〜!」って思うし、書く時もちょこちょこそういうの入れると感想で「この部分が〇〇くんぽくてすごく好きです」と言われる。
コメには事細かに考えて簡潔にちらっと書くってはっきり書いてるんだけど、こんなに「これを全部削らずだらだらと書く」って認識されると思わなかった…
OqRpdZKHの補足ありがとう、そんな感じです。
コメ文の例は一人称の想定かな、と思って読みました。
一人称で心理描写が多いと、トピ文のような書き方で書いていく、それは饒舌に感じられ、余分な文章と感じる人がいるかもしれないと思いました。
三人称だったら、シンクに洗い物が残っている状況の意味。
(いそがしかった。疲れていた。だらしない性格)
おいしいのかわからない、ふだんは買わないお茶を買う心理。
(冒険心。好きな人に勧められて。パッケージにつられて)
そんなのを書くことになります。
そう考えると、そこまで不要な視点ではないと思います。
文章能力も勿論大事なんだけれど、話がつまらないと見るの途中でやめちゃうなー
話の面白さはとにかく色んな作品をインプットな気がします