同人誌は自分のために書くものと言っている人が多い一方で、感想がな...
同人誌は自分のために書くものと言っている人が多い一方で、感想がないと心折れるという人もまた多くて矛盾してるなあと昔から思っています
不特定多数の読者に喜んでもらうため創作したものであれば感想がないのに落ち込むのは理解できるんですが、自分の「好き」を突き詰めて作ったものが他人に刺さらなくても「それはそう」ってならないですか?
みんなのコメント
自分の好きだからこそ、他人がこれいいよねー!って言ってくれたら嬉しいです。やっぱり!?ですよね!?ってやりたいの。ここ可愛いよね、かっこいいよね、こういうとこが好きなのー!わかるー!ってやりたい。
感想がないよりある方が良い って気持ちをまったく理解できない?
やっぱり自分の萌えを他人と共有したいし共感されたい
あと、自分のために書いてる人と感想ないと死んじゃう人は別の人だと思うから矛盾はない
インターネットの向こうにはたくさん人間がいるんですよ
ほんこれ。インターネットに書いてある意見は、全部ひとりの人が書いてるとでも思ってるんだろうか……。
自分のために書いてても感想があれば嬉しいな~って人は珍しくないと思うけど、「感想が無ければ折れて辞める」というタイプは別に自分のためには書いてないと思う。
感想がある方が共感してくれた人がいるって事で嬉しいけど自分もそれが直接的なモチベにはならないからわからない
自分の見たいものというより他人が求めてる物が目的になっちゃってそう
同時にこれ言ってる人見たことないけど同じ人が言ってるの?
私は自分のために書いてるので感想はあれば嬉しいし積極的に欲しがるけど(なぜならあればあるほど嬉しいので)、感想がなくても心は折れないし書き続けます
同じような人も多いんじゃないかな
まあでも仮に同じ人が言ってても不思議には思わないかな 人間は矛盾を抱えた生き物なので
好きなものを好きなだけ食べたいけど、それはそれとして痩せていたいじゃん
太りたくない〜!って言いながら深夜に食うラーメン半チャン餃子一人前が一番上手いじゃん
全文同意すぎる~!
自分は感想欲しいけどなくても折れないけど、折れてしまう人がいるだろうなぁという想像はつく
人間なんてこの件だけじゃなく矛盾だらけ
必ずしも自分のために書く層=感想がないと心折れる層とは思ってないですが、どちらも同人界隈では大勢を占めている意見なので、割合としてはそれなりにいるんじゃないかな?と思ってます
矛盾をはらんでるから悪いとか直せとかそういうことを言いたいわけではないんですよね
自分の好きを突き詰めてるなら感想とか同意とか別になくても良くない?というか…
感想ないと心折れる人ってそんなに多くないイメージです
みんな「感想来ない…心折れそう…感想欲しい…」って言いながら手動かしてません?
結局ガチで感想来ないのでやめました!って人は意外と少なくて、感想来ねえしやってらんねー!もうやめるかんな!と言いつつも自分の萌えを描かずにはいられなくて、文句垂れながら描いてるなって感じがします
本当に自分のために書いた同人誌は頒布しない。性癖詰め込んだ本の一番の理解者は自分だけだし、売れるかわからない。
自分以外にもこの萌えと性癖がわかる仲間が欲しい、この性癖増えて欲しいと思ってネットにはあげるけど、別に感想ないからと折れない。
折れる人は仲間が欲しいんだと思ってる。
①自分の好きを詰め込んでるからこそ共感されなかったとき自分だけなのかと不安になる
②好きを詰め込んだかどうかと作品としての巧拙や伝えたいことを伝えられてるかは別なので、感想も来ないほど下手なのかと不安
③読んだ後感想も残らないほど内容が薄い作品なのかと落ち込む
④作品をただ刹那的な娯楽として消費されたみたいで腹立たしい
⑤単純に主張してる層が全く違う(どっちも多数だけど層が被ってない)
⑥好きを突き詰めて〜はこうでありたいという理想論であって現実にこうだという話ではない
パッと思いついたのでこんな感じです。
トピ主の言いたいことが結局よくわからない。「自分のために書く層=感想がないと心折れる層とは思ってない」なら、それで疑問終了なんじゃないの?
自分のために書いている人=感想とか同意とかなくても別にいいと思っている人、と個人的には認識しているし、それが「自分のために書く」という言葉の意味だと思ってる。ちなみに、自分もそういうタイプ。
自分のために書いているとは口で言いつつも感想がないから結局折れた、という人も中にはいるだろうけど、それがとてつもなくたくさんいる、とは別に感じないけどな。自分のために書いてる、って公言する人は、やっぱり反応なくても気にしないタイプが多いよ。自分がそういう書き手なの...続きを見る
同人誌は自分のために書くものと言っている人が多い一方で、感想がないと心折れるという人もまた多くて
いつから前者と後者が同じだと勘違いしていた…?
お前なんか嫌いだ……って言いながらキスするシーンになんでだよォ〜!?ってキレてそう
説明しよう!
お前なんか嫌いだ(好きなもの突き詰めろ←→ほんとはすき(感想よこせ
こういう構図は、世の中に往々にしてあるぞ、もっと本読もう
わかりやすい。人は矛盾を抱える生き物なんだね
実際、最初は自分が好きで手助けしてるだけ~と思って見返りを求めずに与えてたとしても、相手がなんの感謝もなく当たり前のように受け取るだけになったら不満を覚えるみたいなのあるあるだよね。よしなが〇みの漫画でそういうセリフ言ってるシーンがあってツイで転載されてバズってたな
自分の好きなものを自分のために描いてますけど、それ(キャラやシチュ)いいよねとかわかる〜等の共感を得られたらやっぱり嬉しい
なので私は正直に言えば、感想とかいいねとかめっちゃ欲しいタイプなんですが、感想がこない(いいねがつかない)から辞めるとまでは思わないです
矛盾してないと思ってるんですが、してますかね!?
承認欲求は長い人類史の中の村社会で生き残るために形成された本能の一つなので、それ言ってる本人も好きでそうなってるわけじゃないんじゃない?
そもそも筋の通った人間も多いわけじゃないし。
理屈で考えると人のことを理解するのは大変だよ。
既に言われてるけど自己矛盾が溢れているからこそ昔から世に様々な作品が生まれているというのに。もっと本を読もうね。映画や漫画でもいいよ。
そろそろ冷めそうだな、まだネタはあるけどどうするかなーと思ってるCPだと、前出した本がそこそこ売れてて感想なかったらもう描かなくていいやってなりますね。
自分の場合は「自分のために同人誌出す」から、「喜んでくれる人がいるから同人誌出す」に緩やかに移行する感じです。
感想なくても心は折れないけど、CPを描く筆は折れる。
みんな最初は前者「自分の為に書く」でやっていけるけど、そのうち後者「感想なくて心折れる」に移行しているんじゃないかな
感想を書こうと思ってくれた気持ちが嬉しいから欲しくなっちゃう。
自分が滅多に感想を書かない人間だから、書くってことはそれだけ感想を書いてくれた人にとって良い作品だったんだなって思えて、次もそう思ってもらえるような作品が創作できるように頑張ろうってモチベにもなる。
自分はそもそも創作すること自体が好きだから感想が全くなくても次から次へと創作してるけど、それはそれこれはこれってやつよ…別に矛盾した感情ではないと思うんだけどなぁ…
「矛盾をはらんでるから直せとか悪いってわけじゃないけど、矛盾してるのって変じゃない?と不特定多数に同意を求める」ってトピ主の行動も矛盾してない?
「そういうものだと納得しているつもりだけど、それはそうとして正しくはこうあるべき」って考え方、自分のために作ってるけど感想ほしい勢とほとんど同じ思考回路に見えるよ
「自分のために書いてる」「感想ないと心折れる」どっちも表では口にしないけど心で思うことはある書き手です
矛盾というか、「自分のために書いてる」という強い気持ちを持てるときと、「感想ないと心折れる」という弱った気持ちで波がある感じなので、自分の中では矛盾とは感じないです 作品づくりがうまくいってるときは、「一人でも頑張れる!」って強い気持ちを持てるし、孤独な原稿作業が行き詰まったときには「誰かに応援してほしい…」って弱ります みんな常に一定の気分でいられるわけではないのでは?
前はほぼ一人で描いてて交流もいらない、感想もまあもらえたらいいけど無くても困らないという人間でしたが
リアルの生活で上手くいかなくなると自分の拠り所が無くなって反応に依存するようになっちゃいましたね
後はやっぱりツイッターが魔のツール過ぎますね…反応される様子が見えやす過ぎるし、流れたら見てもらえないし
自分のために書いてるから感想こなくても書く心は折れないけど、感想くれないなら公開する心は折れる。書いて自分で眺めて満足して終わるようになる。
トピ主の言わんとしてることなんとなくわかるよ。
感想もらえたら嬉しいけどなかったら辛いみたいに感じたことはないから、感想もらえなくて辛い気持ちがよくわからない時もある。そこまで!?てクレムのトピ見て感じるやつもあるな。
自分が好きなものしか描かないせいかもしれない。それが誰かの性癖に刺さればラッキーくらいの期待値。
感想なくて辛い人は期待値が高くて現実とのギャップに打ちのめされちゃう…とか?思いつくのこれくらい。