二次創作の小説書いてます。同じジャンルの人ではそういった人はほぼ一律で「字書き」と呼ばれている印象です。「物書き」は見たことはあるな…程度でほとんど使われていません。 私の場合、絵を描いてる人なら「絵描き(または絵書き)」、文章書いてるなら「字書き」っていうだけで別に深い意味は無いです。 「文章とか小説書いてる人です」より「字書きです」の方がシンプルなので、単にそうしてます。拘りは全く無いので、賛成/反対/興味ないから選ぶなら「興味ない」です。
イラスト・小説・漫画を描く者です 自分では絵描きとも字書きとも呼称しませんが他の方が言うのは気にならないほうです 「物書き」はプロっぽいかなという感覚 個人的には絵描き、字書きともにそれを専門的に職業または趣味にしてる方のイメージです 賛成とか反対は特にありません。気にしてないので
屁理屈の言葉狩りにも思えますが確かに昨今パソコンを使うので「書いて」は居ませんね その人が納得する言葉は「文章打ち」 これしか無いですね
私も二次小説を書いてます。そして個人的には字書きという呼び方が苦手です。 ただ、トピックに出てくる意味合いとは少し違って、単に言葉としてあんまり好きじゃないって感じです…。 というのも自分の周りだと「字書き」という言葉に妙な自負みたいなものを持っている人が多くて、その人たちが「字書きとして〜」とか「字書きなのに〜」とか言ったりしているのを見て苦手になった感じです。 うまく言えないですが、字書きという言い方で自分の行為をへりくだっているように見せて、だからこそ妙な自負を持っている…みたいな。 同人小説を書くって誰にだって出来ることなのに、そういう特殊な肩書に単語化して自称すること自体が好きじゃないな…と思ってしまいます。 なので私は自分のことを字書きと自称はしないです。でも、他の人が自分のことを字書きと呼んだりするのはどうでもいいです。自分が字書きと呼ばれても反論はしません。ただ言葉として好きじゃないので使わないって感じです。同じ理由で「絵師」も気持ち悪くて嫌いです。
絵描きです。 「字書き」という単語は前々から知ってはいましたが、その界隈とは交流がなく このトピで頻繁に見かけるようになって「小説を書く人は自分のことを字書きと呼ぶのか…」ということを改めて認識していました。 そして「字書き」に対する違和感は私も持っていましたが、 自分なりに考えてストンと落ち着いているものがあるので書き出します。 長いです。 結論だけ言うと ・字を書くのは結局 文章を書くためだから違和感のない解釈ができる ・文が下手でも「字を書き連ねているだけ」と言い訳できる謙り表現 ・「絵描き」の字面や語呂に合わせて「字書き」 だと考える理由についてダラダラ書き出しています。 途中、英語的な解説が多く入ります。 日本語の話なのになんで英語が入ってくるのか?と思われるでしょうが、 言葉を紐解くことは文化を紐解くことでもあり、「異文化との対比」や「文化交流の影響」も当然入ってきます。 戦後の日米関係、そしてインターネットの普及によって、かなり西洋的な概念が日本社会にも入ってきました。 カタカナ語に代表されるように、日本語の用法や解釈もまた西洋文化の影響を受けていると私は考えています。 そのため、英語的な解説・解釈を含みます。 ■「字書き」の起源 トピ主さんが挙げている方の(と思われる)noteでは、 字書き・文字書きという表現がされるのは2010年代に入ってから。 趣味で小説を書いている人を指す言葉としての「字書き」は2017年頃から頻繁に使われているとありました。 自分なりにも改めて調べましたが、 TwitterなどのSNSでも2007年から使われている表現です。 2005年には2chで「同人誌を出すなら字書きか絵描きか」というスレッドが立っています。 また2002年には個人HPで趣味小説書きの自称として「字書き」という表現があります。 (更新が止まっているため2002年当時の表現と推測されます) 確かに言葉として頻繁に使われるようになったのは情報や価値観が共有されやすくなったSNS以降だとは思います。 しかし、単語の意味合いとして成立したのはそれ以前と思われます。 ここからは憶測にはなりますが、恐らく90年代、つまりインターネットが広く普及する以前から 「字書き」ないし文字書きという表現はあったのではないか。 初出などまで遡ろうとするとネット以外の文献を漁る必要があるため、それ以上は言及しません。 しかし「絵描き」「絵書き」や「物書き」は辞書にも載っていますが 「字書き」「文字書き」は載っていないことから、 「字書き」は比較的新しく作られた造語的表現だと考えられます。 ■字と文章を区別するかしないか 文字を書く:Writing 文章を書く:Writing 書道 :calligraphy 西洋にも日本の書道のように文字アートとしてカリグラフィーという文化があります。 そのため、文章の字を書くことと文字アートは区別されます。 しかし、文章を書いている動作の途中は「字を書く」です。 字単体で何かを表すことは基本的に難しいため、必然的に字を書く=字の連続である文章を書くということになります。 ただ日本語、とりわけ漢字は「表意文字」であるため、1文字でも意味を表すことが出来ます。 そのため「1文字を書く」という動作にも意味や違いが生まれてしまいます。 「字を書く」が文章を書いてる意味にも一文字書道にも捉えられる所以です。 だから同じ「書く」でも字を書いているのか単語を書いているのか文を書いているのかの違いが生まれやすいのではないでしょうか。 英語では「字を書く」は「Writing」であり、書かれた「書き物」も「Writing」。 文字か単語か文章かは区別しません。 「字書き」という表現に違和感を覚えないのは、 字を書く→結局、文を書くことが目的と脳内変換し、文字か文章かの区別をしてないからだと思います。 そういった解釈の上では「物書き」「文章書き」「字書き」の区別は薄くなります。 それが「絵描き」と対比すると 絵を描く 字を書く となってしまうため、違和感が生まれるのでしょう。 これについては後述します。 ■へりくだった表現 「なんだこの下手な文章は」 「いえ、私はただ字を書き並べてるだけなんでね」 物書き、小説書きと言えば良いところを「字書き」「文字書き」を敢えて表現するのは、 上記のようなへりくだった意味合いも当然あると思います。 小説は読める物語になってなければならないですし、物書きは「物」を知らなければ書けません。 だからこそ物書きは「先生」と言われますし。 SNSでもよく「日本語が読めない日本人」「日本語が通じない日本人」なんて言いますが、 素人が書き出した文章は読み物として決して良いものではありません。 (私のこの長文コメントもそうですが。) だからこそ、小説でも物でも文でもない、私が書いてるのはただの字の集まりだ、と。 「字書き」と言っておけば、そういう言い訳や逃げ道が出来るので丁度いい言い回しでもあったのではないかと。 そういう意味では「絵描き」は下手だと言われると逃げ道がないからか、下手と自覚している人は 「ヘタ絵描き」「インターネットラクガキマン」という言い回しで逃げている気がします。 ■動名詞的用法 絵描きも字書きも転成名詞、動詞が名詞として使われているわけですが、 動名詞的な用法、つまり現在進行形がそのまま名詞になっていると考えます。 「絵を描く」の「絵」が完成形を指しているため分かりづらいのですが、 敢えて日本語ではなく英語を引き合いに出します。 「絵を描く」を英語では「ドローイング」「ペインティング」2つの使い分けがあります。 ドローイング:(鉛筆で)線を引く ペインティング:(絵筆で)面を塗る 鉛筆で描くスケッチや子供のクレヨン画はドローイングです。 水彩画や油彩画などはペインティングです。 色鉛筆で塗っていてもドローイング、絵筆で輪郭線をなぞってもペインティング、まぁ例外的な動作はあるとして。 西洋では鉛筆(pencil)で描く、絵筆(brush)で描くに違いがありました。 しかし日本では線の絵も塗りの絵も「筆」を使っていたため区別がありません。 ドローイング、ペインティングを区別なく「絵を描く」と言います。 そのため線を引く、色を塗るという動作の途中も「絵を描いてる」と一括に言うことが出来ます。 「絵」を描いているのではなく、 「絵を描いている」という1つの途中動作を指す言葉だと解釈します。 翻って、文章を書くことを「ライティング」と言いますが、その途中の動作は「字を書く」です。 「字」を書いているのではなく、 「字を書いている」という1つの途中動作・現在進行形として捉えると 絵のために線を引く、面を塗る → 絵を描いてる = 絵描き 小説・文章のために字を書く → 字を書いてる = 字書き ■「絵描き」に合わせて「字書き」になった。 「絵描き」という表現に合わせて「字書き」という表現が定着したんじゃないかと考えています。 絵描きは辞書にも載ってるくらい古くからある表現です。 物書きも同様に辞書にも載っている表現です。 ただ前述のようにへりくだった表現として「文字書き」 それを「絵描き」に合わせた字面やゴロ合わせから「字書き」となった。 ■まとめ だらだら書き連ねてきましたが ・字を書くのは結局 文章を書くためだから違和感のない解釈ができる ・文が下手でも「字を書き連ねているだけ」と言い訳できる謙り表現 ・「絵描き」の字面や語呂に合わせて「字書き」 この辺の事情が合わさって「字書き」がSNS時代以降に定着したと考えています。 まぁこの辺の呼び名は好きに自称すれば良い派です。 「SS作家」でも「ノベラ―」でも通じますし。 前述noteの方は「ネット文士」が良いと言っていましたね。 昔から売れない作家を「三文文士」なんて言いますが、それも面白い表現だと思いました。 ただよく使われる表現以外から「言葉を選ぶ」ということは、それなりの理由を内包することになります。 広く使われているのが「字書き」であるならそれに倣えば良いですし、 そこにこだわりや主義があるなら「字書き」以外の表現で良いのではないでしょうか。 ただ「私が書いてるのは字じゃねぇ文だ」という主義に対しては 「字書き」でも違和感のない解釈ができるし、そこは変にこだわる箇所でもないな。 というのが個人的な考えです。