攻めの扱いが「不遇」「おざなり」「尊重されていない」「棒扱い」っ...
攻めの扱いが「不遇」「おざなり」「尊重されていない」「棒扱い」って、具体的にどんな内容や表現ですか?
個人的な判断基準で構いませんので、具体的に教えてください。
以下、自語り。
BL二次小説書きです。
最近、主人公受けにハマり、様々な攻めで主人公受けを書いています。
「1作品1カプ」で書いており、話は繋がっていませんが、様々な攻め違いを書いているので、作者のことは総受け気質っぽく見られているかもしれません。
「受け固定で攻めを棒扱い」と思われる可能性があるなと思いました。
攻めも受けもどちらも好きというか、どのカプもその2人だからこその関係性に萌えて書いていて、それぞれのカプの関係性を大事に、そのカプでなくては成り立たないような話を書いているつもりなのですが…。
なるべくなら、攻めへの愛が無いと思われるような内容や表現は避けたいと思い、トピを立てました。
よろしくお願いします。
みんなのコメント
・攻めの振る舞いやセリフが、攻めが変わっても使い回し(シチュの使い回しは分かるけど、カプ毎の色を出して欲しい)
・攻めの出番が少なく受けばかり出てくる
具体例ありがとうございます。
>攻めの振る舞いやセリフが、攻めが変わっても使い回し
それは確かに攻めが誰であっても成り立つ感があって、まさにって感じですね。
>攻めの出番が少なく受けばかり出てくる
これは受けが「いかに攻めが好きか、攻めのことをずっと考えてしまう」みたいな話でもそう感じますでしょうか?
申し訳ないけど総受け(特に主人公総受け)という時点でいわゆる棒ビュッフェだな……って思ってしまうよ
男主でも女主でも同じ
>話は繋がっていませんが、様々な攻め違いを書いているので、作者のことは総受け気質っぽく見られているかもしれません。
別軸だから総受けじゃないです理論の人いるけど、これ普通に総受けだよね
作者の気質(性癖)は総受け、作品自体は総受け作品ではない、という意味でした。
総受け作品は、1つの作品の中に攻めがたくさん出てきて受けに矢印を向けているとか、複数人攻めの乱交とかあるかと思いますが、そういうのではない、という意味です。
同人用語は作者を指す場合と作品を指す場合があり、混同されやすいので、記載しました。
分かりづらくて申し訳ない。
△作者のことは総受け気質っぽく見られているかも
○作者は総受け気質
だと思った、ということです
(本当は総受け気質ではないのに)ぽく見られてるかも…という自己弁護に見えたので
「総受け気質っぽく見られているかも」で間違いないです。
なぜなら私はめちゃくちゃ雑食で、関係性に萌えたら小説を書くタイプなので、「総受け気質」限定ではないんです。
攻めにも受けにもリバにも攻め違いにも受け違いにも乱交にも置けるタイプです。
だいたい1キャラだけとか1カプだけとかではなく、原作全体を好きになるので、AB・BA・BC・DA・EFとか関係性に萌えれば書くタイプです。
たまたま今のジャンルではどれも主人公受けになってるので「総受け気質に見られてるかも」という表現になりました。
主人公受けを書いている現ジャンルでも、相手によっては主人公を攻めにする可能性はおおいにあります。
棒ビュッフェいいですね!
ビュッフェってわくわくして楽しいので、よりどりみどりになれるように、これからもたくさん書こう〜!って思えました。
ありがとうございます。
攻めが理解ある彼氏くん過ぎる
本当に攻めがそんな都合よく動くか?って考えてほしい
攻めにも人間関係があって受けより優先する人もいれば大事にしてる事柄もある
最終的に攻めが折れたり受けのやることが正解パターンが多すぎると、おざなりだなと思う
これは耳が痛いです。
トピ主は、理解ある彼くんというか頭のいいキャラがスマートに物事をこなすのが好きなので、強調して書いてしまうことがよくあります。
受けに対してもそういうムーブするので、結果的に理解ある彼くんになりがちかもしれないです。
しかし、受けより優先する人がいる攻めには萌えないので、性癖の問題もあるかもしれませんね。
ちなみに「受けのやることが正解」って例えばどんな感じですか?
原作に新キャラが出るや絡みもないのに新キャラ✕受けの妄想をしだして創作したがるのを繰り返す
なにもかも攻めのせいにして受けかわいそう!攻めひどい!と周囲のキャラに責めさせる、攻めはひたすら謝罪する創作
受けが2人以上の攻めから思われ片方が振られる創作
受けはすごいのに攻めはどうしようもないと周りから言われたり攻めがすごいのは受けのおかげ、受けに感謝しないと等のセリフのある創作
様々な攻めがそれほど絡みのない3人以上だったらもう夢だなと思う
原作の関係性でキャラらしさがあるのならそんなに問題ないと思うけどな
まあ総受け状態の書き手のキャラが崩壊してないことはあんまり見たことないけど楽...続きを見る
個人的にですが、攻めと受けが喧嘩した時、すれ違った時に攻めばかり周りから責められてると「あ〜この人攻めのことただの棒だと思ってるんだな」って思って気分下がります。逆にそこらへんが上手いとこの人2人ともちゃんと好きなんだなって嬉しくなります。
漫画の場合は受けだけ描かれてるコマが多いとか攻めは体の一部しか入っていない(R18シーンなんかは特にこれ)ですかね。
トピ主がちゃんと「このカプじゃないと成り立たない」って分かってるなら大丈夫だと思うけどなぁ
カプ固定作品でも「これ攻めを都合のいい棒にしたいだけじゃん」って話書いてる人もわんさかいるので...
原作でそういうキャラ付けじゃないキャラが受け大好きのへんたい化、ヤンデレ化とかさせられてるとあー…ってなる。
何で受けのこと好きなのかいまいち伝わって来ない時かな。
惚れ薬でも無理矢理飲まされたんか?って思う。
総受気質な点でちょっと…とはなりますがいくつか
・私は逆に受がなんで攻のことを好きなのか伝わってこない。
・既出ですが、受が100%悪い喧嘩やすれ違いなのに、最後まで謝らないし、受の気持ちを察しない攻が悪いく、結局攻が理解のある彼くんで仲直り。のような書き方
・攻がかっこよくない
・受には好きと言わせたり、気持ちを行動で示すことはさせず、全部攻にだけさせる
・要は攻めを理解のある彼くんにしてるってことですね
総受気質ってだけでもう攻めの描写にはあんま期待しないかな…
・グッズやガチャ等で受けだけ買って攻めはスルー
・表紙に受けしかいない
・攻めが一方的に受けに感情を向けたりアクションを起こしたりするばかりで受け→攻めの描写が足りない
・攻めの周囲の人間関係がおざなりだったり排除されていたり受けモンペになってたりする
ここまで書いておいてあれですが、まず攻めの棒扱いが嫌な人は総受けという時点でトピ主を避けると思うのであまり神経質にならなくてもよいんじゃないと思います。
私的にAというジャンルでbcもdcもecも書いてたら(作品が違えど)それは攻め棒扱いだなぁと思う
総受けって受けが好きだけど攻めは誰でもいいみたいに感じる
自分は受けがいつも同じだと、攻めは誰でもいいんだなぁと漠然と感じるかなぁ
AにはAだけに見せる顔
BにはBにだけ見せる顔
みたいなこの受けの反応はこの攻めでしか味わえないみたいなのが読みたい。
総受け好きです。
不遇→作中で攻めの性格がクズにされて受けちゃん親衛隊からスカっとジャパンされる展開
おざなり・尊重されていない→最初から最後まで攻めは舞台装置である(受けの心理描写は詳細だが攻めは一切触れていない)
棒あつかい→攻めの性格を無視した展開に沿って行動させられている。原作未履修と書いている作品かパロに多い。
最終的に受けちゃんとセッする話において、職業や肩書に則った言動を取りすぎて攻めがほぼ別人。棒であればなんでもええんか?というあつかい。
尚、ここまで書いていてなんですが、私は総受け派です。トピ主さんと同じくマルチバース型総受け派です。
心理描写については視点にもよる
小説だと心理描写はどうしても視点主のものしか出せない
一人称でも三人称一元視点でもそう
三人称神視点なら両方の心理描写やれるけど神視点は商業含めうまくやれる人はごく少数
漫画だってそんな頻繁に視点が入れ替わって両方の心理描写が互い違いになってたら疲れるし
視点主でない方の心理描写がないからおざなり・尊重されてないにはならないと思う
心理描写がないから舞台装置というのもかなりの極論かと
23コメさんのマルチバース型総受けというワードを初めて見て感心してしまった。自分もそうだ…
相手違いを出す時点でガチ固定の読み手からはシャットアウトされてると思うので、トピ主さんはトピ主さんなりに愛を持って創作したらいいのではないかと思います!
その攻めキャラとの関係性が違えば違う作品ができると思うので、私は相手違い全然ありだと思いますね…
たとえばAB、CB、DBと書いてても、Aは先輩、Cは幼馴染、Dは後輩…とかだったら描ける人間関係もストーリーも全然違うものになりますよね。
やってるだけとかの名前変えたら同じみたいな話ばかりだと扱いが雑って思われるのかもしれないです。
総受けだとわかった時点で尻軽穴キャラにされてるのですべてが霞んで見える
別軸だとしても受けに一途さなどないのが前提なので攻めが報われなかったり雑な扱いされるのいやだな
受けにも攻めにも人権がない二次創作って感じ
わかる…受けが「攻めだけが好きだよ」とか言いつつ次の日には別の攻め君に同じこと言ってると霞みます 説得力がないというか
別軸だったらその別世界の相手に一途なんだと思うんだけどな
別軸って要はパラレルで厳密には同一人物じゃないでしょ
①A×C
②B×C
①と②が別軸だとしてどちらの世界にもAとBとCが存在するなら当て馬に近い
ACの世界にBは存在しないならなぜ存在しないのか、Bを出さないだけなのか、出さないだけならBはどういう立ち位置で存在するのか、作者の行間からBCの存在が匂うので結局は総受けと感じる
なんでだよ。ABの世界のCはBのこと好きじゃないしCBの世界のAはBのこと好きじゃないよ。
勝手に恋愛感情捏造するのやめてよ気味が悪い。読解力なさすぎる。こういうやつがABよんで「最高のCBありがとう」とか言い出すんだよ。
C受けの話してんのにABどっから出てきたの?そっちこそちゃんと読んで
総受け者がAC描いてたらAC以外の攻めキャラを出すだけで当て馬要素になるって言ってんの
描き手が別軸でBCも描いてるなら余計に
BのファンだっているのにBのこと何も考えずに出してる自覚ないの?
キャラの扱いがおざなりだし他の軸ではBを攻めにしてるなら都合良すぎ
BはCを好きじゃなとかそういうことじゃないんだよ
作者が意図してない恋愛要素を勝手に脳内で作んなって言ってんだよ。恋愛感情自体存在しないんだから当て馬要素なんかどこにもないじゃん。勝手に作品歪めて見るのやめてくんない?
≫こういうやつがABよんで「最高のCBありがとう」とか言い出すんだよ。
これ言うほうがよっぽど捏造じゃん
こっちは当て馬が嫌いだって言ってるのにキャラ3人出てくる作品読んでありがとうなんて思うわけないでしょ。読解力ないのはどっちだよ。結局総受け者は読解力もないしちゃんと読まないしストーリーも読んでなくて受けがチヤホヤされてればいいだけだっていう証明じゃん。
作者が軸を跨いで総受け書いてるのは事実なのに何を言ってるの?受け以外の全員を恋愛対象の攻めとして見てるのは総受け者じゃん。ずっとダブスタすごいけど大丈夫?
≫ 勝手に恋愛感情捏造するのやめてよ
恋愛なんて一言も書いてない
読まずに捏造してんのはそっち
別軸で攻めやってるキャラが脇役に格下げされてることはおざなりな扱いじゃないの?その役をぼかすなりモブにするなりいくらでも書きようがあるのにヘタクソなんだなと思うだけだよ
様々な攻め違い、の様々がどのくらいかじゃないかな
バディを組んだB、因縁のある敵C、実は生き別れの兄弟だったD、くらいなら「BやDじゃなくて敵のCじゃないと駄目な話だったんだな」とか思えるかもしれないけど、
相手が5人も10人もいて「本来はXとの強い絆があるY君ですが、原作○話の受け君との会話が面白く、ここ二人絡ませても面白い話が出来そうだったのでカプらせてみました!」とかだと、原作での絡みがあるにしろ「この人受けが輝けるなら相手誰でも良いし、最早原作をそういう目で読んでるんだな…」って思う(=攻めが大切にされてないと思う)かもしれない
逆に「総受けです」って言ってくれた方が、「おっ...続きを見る
推し右固定、攻めなんでも読む派です。
推し右固定で相手違い無茶苦茶読むけど、攻めを雑に扱うかどうかって、相手違いを複数書いてるか否かには関係ない。
攻めを舞台装置にしがちだったり、攻めがヤンデレ鬼畜化したり攻めの描写ない作品書く人はそれが性癖なので相手が固定でも、どのジャンルに行ってもそういう作品書く。性癖だから。
相手が違うからこそ、攻めのこと丁寧に描写しなきゃ関係性や物語の違いが出ないって意識してる方、そうでなきゃ面白くないって思ってる方は攻めも魅力的だし、相手が違えば全く違う話になる。
それはそうと、相手ガチ固定派の方はそもそも生産元が気になってまともに読めないのでは...続きを見る
受けは振り回され苦労人・不幸な過去持ち・周囲からチヤホヤ・頭ゆるふわのかわい子ちゃんあたりの要素盛って
攻めはハイスペイケメンだけど残念ヘタレかサイコパス、受けに一方的なクソデカ矢印を向ける
結局ほぼ固定厨が総受け者をdisって貶める為のトピと化してて草
まあマトモなコメしてる人ももちろんいるけど
攻めが受けにプレゼントしたりキスしようとするのを受けが理不尽なほど非難して攻めのプレゼントなどを台無しにする
受けがどうして攻めと付き合ってるのかわからないよ受けに甘えすぎじゃないか?と周りの取り巻きに言われる攻め
それでも攻めは受けが好きだからプレゼントしたかった(キスしたかった)話をするけれど受けは受け入れないし取り巻きも受けがかわいそうだよ!と受けをよしよし保護して去って行き、攻めはぽつんと取り残される。それでも受けが好き(という設定)
こういう感じで攻めをないがしろにする作品は昔からありがちなヘイト創作
作者がヘイトを自覚していない場合もある。ちょっと意地悪しただけ
潜在...続きを見る
これは悲しい…攻めも受けも二人とも大大大好きだからめちゃくちゃ悲しくなるな
でもあんま思い入れないカプだと普通に読めてしまうかもしれない。人間って勝手だな。気をつけよ
攻めが性欲魔人とかDV男に改悪されてる場合(原作にそういった要素がないのに)も「蔑ろにされてるな」って感じるね
受けちゃんのエロい姿が見たい、受けちゃんかわいそかわいいしたい用の器にされてるようで
総受けでもABやCB(人気カプ)には肉体関係をもたせてイチャイチャさせるのにDBには肉体関係をもたせないし恋愛感情もDの一方通行など攻間の扱いに差をつけて書かれるのが一番辛いです。だったらDB書くなよとまで思うしその人の作品はもう二度と見たくないと思います。
乗っかる形であれだけど、原作が主人公B大正義作品で、AB、CB、DB各々みんなB第一主義みたいな場合でも棒ビュッフェ扱いされるのかな?
自分はこういうジャンルにいるから総受けでも違和感を感じないんだけど
強いて言うならいくら総受けでも接点ない攻めを置いてきたりだとか、原作以上に矢印むけてたり、受けのおいしさのために性格自体がねじ曲げられてたらこの人は各々好きというより受けが好きなだけだなって思うかも
「原作以上に矢印むけてたり」、カプにしてたら当てはまっちゃうのでは?原作で性欲向けてるなら別だけど
いや原作以上の矢印=友達以上て意味の話してるわけではなく
原作の感情MAX値の幅があげられてたらという話であり
性欲の話はしてないごめんね
原作がB総愛され(恋愛感情では無い)ってことだよね?
違和感っていうか総受け好きな人なんだろうなとは思う
攻めに人間的な魅力がないと、あーってなるな
普段から作者が受けに甘く、攻めに当たりが強い発言してたら読まなくなる
普段から作者がA下げ発言を繰り返している
これに一番「棒扱い」感じました
そんなにAが嫌いなのになぜAB書くんだろうって思った Aが都合よかっただけなんだろうけど
・作者が攻めdis発言をしている(こういう欠点も好きとかじゃなくて受けと比較してsageるような発言)
・安易なヤンデレ化、HENTAI化(キャラ解釈としてのものではなく「ヤンデレ攻めに愛される受けが見たい」「HENTAI攻めに迫られちゃう受けが見たい」という欲求によるもの)
・攻めが作者の自己投影(ただ作者が受けのことをエロい目で見てるだけなのを攻めにやらせてる)
・攻めの掘り下げをしないで受けの掘り下げばかりする
↑を感じたら棒扱いだなと思ってしまう
攻めのことを一つのキャラクターではなく顔の良いモブとかアバターみたいに扱われてるなと感じる=棒扱いされてる…って感じ
既出だけど、受ちゃん可愛い!!って作者の気持ちを攻めに代弁させてるなって作品は、攻めを都合のいい舞台装置にしないでほしいな…と思う。
セクハラ発言の繰り返し、すぐに性的接触を求めようとする、コスプレさせたがり、アブノーマルなプレイをさせる等々…。受けが恥ずかしがって赤面してるとこが見たいだけじゃん…と、苛々してしまう。
理想の関係性と推しの原作から図れる関係性を一致させようとしないで、もっと原作のふたりを尊重してくれ〜!と思うけど、二次創作して関係性を捻じ曲げてる時点で同じ穴のムジナでごめんなさいしか言えない。
コメントをする