カテゴリーが「文章・シナリオ」ですが、内容にほぼ関係ありません...
カテゴリーが「文章・シナリオ」ですが、内容にほぼ関係ありません(カテゴリーがわからずにこうしてしまいました)。文章・シナリオにしたのは、私が字書きだからです。また、結構長いです。長いことの悩みだからか長いです(念のため二回言いました)
相互フォローしている字書きのフォロワーさん(これ以降はフォロワーXと呼びます)がいて、そのフォロワーXさんはとあるジャンルの一昔前は栄えていた異性愛cp村の住人です。現在は(男性同士の)同性愛cp村の方が栄えていて、フォロワーXは同性愛cpもいけるとプロフに書きながらも常に異性愛cpの方を欲しがっていました。しかし、フォロワーXさんは欲しがっているにも関わらず、受けにデロデロメロメロな攻めは攻めではない、攻めは気位が高く受けが選択肢を間違えば受けを見限って別れてしまうほどにプライドが無ければならない!というようなことを述べたツイートを固定にしているほどに攻めの解釈にこだわっていました。また、その攻めの解釈は公式の攻めの言動から導き出されたもので、フォロワーXさんの作品は攻めの言動に違和感なく読め、好きな小説作品もありました。解釈違いの作品を見てしまった時の辛さは私も良く分かっています。そのせいか、それを見て以降、相互ということもあり、その異性愛cpを書こうとしても「これは攻めが受けに甘過ぎるからフォロワーXさんの解釈違いになって、嫌な思いをしてしまうのだろうな」と思ってしまい、書くことすらできなくなってしまいました。
また、自分の作品にいいねが付くのに感想が来ないのは精神的には辛い、とフォロワーXさんが呟いていてわかる…となっていました。そんな中、フォロワーXさんの解釈違いにもならない作品をようやく書くことができ、私はその作品をページメーカーで画像化し、ツイートしました。しかし、フォロワーXさんはいいねのみで、感想ツイートらしきものもなく、解釈違いだったからいいねだけだったのか、それとも普通にいいねを押しただけなのかと悩んでしまいました。
フォロワーXさんは今日も自分の好きな異性愛cpの作品が読みたいと呟いています。私もその異性愛cpが好きですし、書きたいです。でも、考えようとしてもフォロワーXさんの解釈で考えてしまい、攻めが受けに冷たすぎて私が好きなハピエンや甘々とはほど遠い結末のものになって自分がダメージを負ってしまい、考えるのを止めてしまいます。そもそも、いつの間にか自分の解釈すら無くなっていて、フォロワーXさんの解釈に沿って書かなければ…!と考えてしまいます。
このままの状態は辛く、心の中ではもう書きたくない気持ちもあります。しかし、異性愛cpの作品が読みたいとのフォロワーXさんの呟きは今日も流れてきます。今は別垢で別ジャンルのcpを書いて、気持ちを落ち着かせているぐらいです。フォロワーXさんの垢をミュートすればいいのでしょうが、フォロワーXさんの作品が読みたいという気持ちはまだあり、ミュートできずにいます。どうすればいいのか分からず、今回の投稿に至りました。
皆さんからのアドバイス、宜しくお願いします。
みんなのコメント
トピ主さんはXさんの為に書いているのですか?
自分は何のために誰のために創作しているか今一度考えてみてください。
確かにそうですね……自分でも読み返して迷走しているな……と気づかされました……
私の場合、創作の動機は私のために書くんじゃあ!とマイナーcpが多いのもあって自分が読みたいものを書くことが多いです。コメント、ありがとうございました。
解釈は「他人のものと合う」ことはあっても「他人に合わせる」ものではない、そうしていると苦しくなるばかりです。
トピ主さんの今の状況は「原作の二次創作」ではなく「Xさんの解釈を元にした三次創作」になっていませんか?
また、Xさんに喜んでもらうために書いているのですか?元々は自分がそのCPを好きになったから書き始めたのではないのですか?
書きたくないくらい辛くてもXさんが求めているのなら書かなければならないのですか?Xさんに「トピ主さん書いてください」「これ見た人書いてください」と言われたのですか?
今のトピ主さんは少し視野が狭くなっており、疲れているように思えます。一旦Xさんのことをすっ...続きを見る
おおおおお!!!目から鱗が大量に落ちました…!
元来、自分の精神状態と同人活動のテンションがリンクしてしまうのもあって、疲れているのではないか、という指摘は当たっていると思います。現在、コロナ渦に春ということもありちょっと気分が沈み込みやすいキャンペーン中なので、心の健康のためにもXさんの垢をミュートして、一旦切り離してみます。
解釈の話は確かにそうだと思う部分が多く、とても参考になりました。XさんにはXさんの解釈が、私には私の解釈がありますし、そのどちらも「公式の振る舞い」ではないことは火を見るよりも明らかです。私は自分自身の解釈を大事に育てていこうと思います。コメント、ありがとうござい...続きを見る