他人と解釈がズレることは当たり前だと頭では理解していても、それを...
他人と解釈がズレることは当たり前だと頭では理解していても、それを契機に心が揺らいだり、人と自分を比べたりするようになってしまいました。心の切り替え方を教えてください。
二次創作をしています。「こんな推しが見たい!」というよりは、どちらかというと原作を読み創作することを通して「推しはこんな感じだろうか?」と思考整理するタイプです。
二年前、「推しはこんな人じゃないと思っていたのでショック」「推しは思ってた通りだった」と人によってに大きく読み方の分かれた原作ストーリーがあり、私は後者でした。当時はもっと熟考して、続くストーリーを待ってから発言したいと思い、またフォロワーさんに前者の方もいらしたので自分の立場を言いづらかったのもあり、Twitterではあまり発言しませんでした。
その頃から、「推しはこんな感じだろうか」と純粋に推しと原作に向き合って書けていた二次創作が、気がつくと「私の見ている推しは最初からこうだった!」と他人に主張したいがための文章になってしまっている気がして、困惑しています。
当時前者だったはずのフォロワーさんがいま私の理想的な推しを書けていると、もともと違う解釈だったはずなのに、あれから考えを深めて推し像を練られたんだなと落ち込んでしまいます。更に深く踏み込んで私の考えとはズレているところを納得させられてしまうと、何だか自分の方が間違っている気がして気持ちが沈むようになりました。
一度他人と見え方が分かれたことで、何だか過剰に、当時思ったことを「自分だけのもの」にしたい私が心の中にいる気がして、苦しいです。そんなことはないと、頭ではわかっているつもりなのに。そして人と比べてしまうことも苦しいです。
Xはログアウトしましたが、まだ時々この感情を思い出してしまいます。
他人を気にせず、また推しと原作に向き合って書くために心の切り替え方を教えて欲しいです。
みんなのコメント
ログアウトしたならそのまま復帰せずに支部専になるのが一番いいと思う。
自分の推しも原作で賛否ある行動をして人によって解釈が分かれる&原作ろくに知らん人にまで叩かれるネタキャラみたいになってしまってあまりにつらすぎて支部専に移行した。
どうしても交流したい!とかなら別だけど大好きな原作と推しだけを愛でていたいという気持ちが強いならとにかく他人から離れた方がいい。
自語りになってしまうけど、自分は支部専に踏み切るまでに時間を要してしまったせいで一度原作と推しを見たくないレベルにまで落ち込んでまた再び向き合うまでに2年近くかかった。
無駄な時間だったなと思うし支部専になった今はすごく楽し...続きを見る
辛い経験を話してくださって有難うございます。私もここ2年の間ずっと落ち込みがちだったので、勝手ながらとても共感し、励まされました。
「自分の中の推しへの気持ちを大切にして、界隈の人らと適切な距離を見つける」、とても大事なことで、良い言葉だなあと思いました。そうしていきたいです。
間違っている間違っていないを決められるのは公式や作者だけで、二次創作作家ごときが「私は間違っている」「相手は正しい」(逆も然り)と決めつけて悩むのって傲慢だと思わないかい?作品は公式のもので私たち二次創作屋のものでは無い
自分が正しいと思っている事が公式からダメ出しされた時に更にまた混乱するよ?
いち同人作家より
正論だし真理。
でもこの正論と折り合いつけられない人が感情を暴走させて他人を殴るんだよね。「解釈違い」だなんだと言いながら。
私もお前も、公式以外はみーんな幻覚。
お、いつもの他人のコメに乗っかり暴言ネキが来るかと思ったらまともなコメが来た
公式以外はみんな海賊版なのに正しいもクソも無いと思うしそれ言い出したら他人を攻撃し自分の首も締める
まさに今のトピ主のように
本当にその通りだと思います。正解なんてなくて、それを決める権利もないものに悩んでいるんだと再確認出来ました。一度他人と解釈がズレたことで、自分が間違っているような気がして、でも自分の思っていたことも確かにあって、ぐちゃぐちゃになって分からなくなってしまいました。
公式から出されたならそれが真実だと思えるのですが、変に他人を意識しすぎたせいで混乱したようにも思います。幸い?自作で思いを捏ねているだけで、人を攻撃するようなことはしていないと思いますので、これ以上自分の首を締めないよう、「正しさ」の感覚から適度な距離感を保ちたいです。
認知不協和状態になっているんだと思います。
「私の推しに対する解釈が一番!素晴らしい!」と「自分の解釈と違う推しも存在している」という矛盾が強いストレスになっているので、「私の書く作品は、概念の押し付けなのでは?」という不安が生まれています。
「うちはうち、よそはよそ」という感じで『自分の解釈』と『他人の解釈』を上手く分離出来るようにならないと、ずーっと同じ状態で悩むことになると思います。
『公式以外の解釈は正しくない』という考え方が、その認知不協和を取り除く一番手軽な方法です。
2つの矛盾を「どちらも正しくはない」と判断することにより、不協和を取り除く事が可能です。
とてもしっくりきました。ただ推しのことを書いているだけなのに、あのとき人と解釈がズレた、私の思っていたことはこうだった、というのが頭を過ってしまい、「私の書く作品は、概念の押し付けなのでは?という不安」が生まれている状態です。
頭ではわかっているつもりでもどうしてもうまくいかなかったのですが、『公式以外の解釈は正しくない』という考えを自分のものと出来るよう、向き合いたいです。
3コメが全ての真理を書いてた
解釈なんてものはないんですよ
作品を読んだ感想と私の中で勝手に捉えた推し像があるだけです
そのうえで二次創作が他人にウケるかウケないかしかない
けどそういうおままごとだとわかった上で自分が純粋に楽しいと思えるような活動をしていくしかない
楽しいと思えないならやめてもいいんですよ
また新しい作品にハマったり別の趣味を見つけてもいいんですよ
解釈なんてものはない、というのが何だかしっくりきました。
私の中で捉えた推し像にも、他人の推し像にも、とらわれすぎていたんだなと思います。
私は出来ることならまた楽しく書きたいのですが、現時点では苦しい気持ちがあります。推しと向き合いたいことや、書きたいと思うことにもとらわれているのかもと思えました。あたたかいお言葉を、有難うございます。
「推しへの解像度が高い・推しを分かってるのは私だけ」って優越感を感じてたけどその差を周りが埋めてきてる・そんな自分が嫌ってことでいいのかな
元も子もないこというと2年も経ってるならその推しと向き合うことにもう飽きちゃってるんじゃない?
むしろ「私は推しを理解してる!」っていう周りへの優越感で今まで2年もやってこれたけど、その差も埋められてモチベーションがいよいよ無くなったとか
トピ主は「推しはこんな感じだろうか」って予測するのが好きで、その答えが公式で提示されたから本当のところはもう満足してるんじゃないかな~と個人的にはトピ文を読んで感じました
丁寧に解きほぐしてくださって有難うございます。
コメントを拝読していて、私は寧ろ、もともと「推しへの解像度が高い・推しを分かってる」と他人に対して劣等感を抱いていたように思いました。それでも原作から私が感じた推し像を、「こうかな、ああかも」と言葉にしていく過程が楽しかったのです。
2年前の一件で、他人との見え方に違いが生じたとき、自分の中に明確に他人と違う、「私の見ている推しはこう」が出来てしまいました。それは私が原作を読んで大切に感じていた部分でもあり、そのことで、何だかそれを(正しい・正くないとは別に)「私だけのもの」と考えたくなってしまったのかも、と思います。
モチベーションは、私...続きを見る
見たい推しより思考整理ということは、あーでもないこーでもないと楽しく考えていた部分に対して、公式展開が答え合わせになってしまって、考えることがなくなってしまったとか、そういうか側面はないですか?その二年前の展開が特に主さんの、良くも悪くもこだわりの強いところだったとか……他の方もおっしゃってますが正しい正しくないの捉え方は危ないと思います、仮に正しさがあるとすれば公式展開だけで作者製作者以外の意見考えは全部感想発表会ですから。もう開き直って、バチバチの自己主張かませばスッキリするかもしれませんよ。
公式が答え合わせになったところはあったのだと思います。仰るように、その展開は私にとって大切な、こだわりの強かったところでした。それで満足していればよかったのに、変に感想の違う他人を意識してしまったから、正しいとか正しくないの感覚に結びついてしまったのかも、と思いました。
私も含め、「作者製作者以外の意見考えは全部感想発表会」という考え方にふれて、少し心が楽になりました。
ポストなどで言うと、意見の違う誰かへの当てこすりみたいになってしまうかも、と思い作品に思いを込めるばかりだったのですが、こんな気持ちでこの作品を書きました くらいの自己主張をしたくなっていて、そのことにも戸惑いを感じていた...続きを見る
3コメさんの言う通りなのと、あと自分は長年ROMから創作するようになったんだけど、cremuみるまで二次創作で解釈なんて考えたことなかった
解釈って大事にしなきゃいけないって感覚がまだないから、cremu見てると不思議になる
そもそも同じ作品を見てても思うことは違うことなんてよくあることだし、同じ人と接しても感じることが違うのもよくあるからその違いを楽しむもんだと思ってた
違うから間違ってるんじゃなくて、そういうもんみたいな
創作してほやほやなんで書いてることよくわからなかったらすみません
真摯に言語化していただいて、自分が純粋なROMだったときのことを思い出しました。確かに、創作するまであまり「解釈」みたいなものとして気にしていなかったように思います。色々な方の書く推し、それぞれに魅力がありました。自分で書くようになって、良くも悪くもこだわりが強くなってしまったんですね。
「違うから間違ってるんじゃなくて、そういうもんみたいな」この言葉がすごく沁みました……。違うところは楽しみ、見え方が重なったなら、そのことを嬉しいこととして楽しめるように、またなりたいなと思いました。
トピ主は真面目なんだなあと思った
うちの界隈は公式から突然自カプの燃料をぶち込まれて、自カプはお祭り、攻め違いカプからは大顰蹙って感じだった
「推しカプが正義でごめん😘」状態で顰蹙さえも高みの見物だったわ
態度に出さなきゃ何思ってたって良いと思うよ
トピ主の理想の推しがいて良かったじゃん
態度に出さなきゃ何思ってたって良いと思う、と言っていただけて、何だかすごくほっとしてしまいました。自分の中に渦巻く醜いものを、直視したくなかったのかも知れません。
理想の推しがいて良かったじゃん、と言っていただけて、確かにそうだ……!と思いました。理想の推しがいたなら、それで良かったはずなんですよね。
こんなに見え方が割れるなんて、ということに心がざわついて、人を意識しすぎて落ち込みましたけれど、ただそれで良かったことなんだと、思うことが出来ました。有難うございます。
トピ主は別に大っぴらに公式や他人を叩いてないんだよね?
ならそれでいいと思うよ
二次創作者如きが偉そうに公式が解釈違い!だとかほざくのがクソってだけで、作品にしてなおかつ思想が滲み出てなければいいと思うよ
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