反応がないことを恐れる人が多すぎる。常に100点かつ大衆に満遍な...
反応がないことを恐れる人が多すぎる。常に100点かつ大衆に満遍なく評価される作品が生み出せる人間なんてプロのクリエイターでもいない。100点のものしか価値がない訳では無いし、50点30点の作品を産んで世に出すことも悪じゃない。失敗したら次はもっとこうしようと思えばいいだけ。一度20点の作品を作ったくらいで人はあなたに失望しないし(失望したとしたらそいつの人間性に難がある)、20点で1000人から面白くないと言われてもたったひとりの性癖に刺さるかもしれない。常に80点以上の作品だけ世に出してるように見える人は世に出ている10倍は20点や10点の作品をかいてきた過去がある。失敗を恐れずかきつづけることをしてきた人がたどり着いた姿だけ見て、失敗してはいけないんだと思い込むのは愚かだ。それでも反応が少ないことを嘆くなら、自分の創作は交流のための手段だと自覚した方がいい。
みんなのコメント
極端ですけど「褒められなくても創作活動が続く人」と「褒められないと創作活動が続かない人」っていますよね
褒められないと創作活動が続かない人は
たぶん褒められる=承認欲求を満たせるんだったら創作活動でなくても良いわけで。
まったく別の趣味を始めたりすれば精神的にも落ち着くのかなぁとは常々思っています。
逆に、褒められなくても創作活動をコツコツ続けている人こそ、本当の意味でクリエイター気質なのかも知れないなぁ、と。
中には素振りの練習だけでプロ野球選手を目指す人もいたりはしますが、それは別の話…
勿論、「褒めて伸ばす」「好きこそものの上手なれ」という言葉もあるように
褒め...続きを見る
私もそうなのですが、創作が交流のための手段の人や、せっかく創作するならば交流したいと思う人は少なくない思います。そもそも表現するというのは、それを見る人がいないと成り立たない概念ですし、見られることを意識してしまうことは何ら不自然ではないと思うのです。
ただ、理解力が乏しく申し訳ないのですが、もし反応がないことを恐れるあまり好きなことを自由に創作が出来ないのは本末転倒だというようなことをおっしゃっているのでしたら、概ね賛同します。他人にあからさまな迷惑をかけない限りは、好きに創作したらいいのに、と思うことはしばしばあります。
タイムリーな話題ですと、槇原敬之さん曰く「聴いてくれる人がいて歌になる」
創作活動も自己満足を越えようとするなら、
見てくれる読んでくれる人がいて初めて創作物になるということで、
できるなら多くの人に見てもらいたいもの。
ただ完璧主義が過ぎると、トピ主さんのように
「100点満点じゃないと発表できない」ってなってしまうんでしょうね。
「すべての人を納得させる難しさ」を知っていれば、
80点でも30点でもとにかく創作物を発表しよう、批判は恐れない、
というスタンスが身につくのかな、と思いました。
ただ、SNSでの反応と30点80点という評価は必ずしも同じものではない...続きを見る
自覚したらどうなるのでしょうか…?
人それぞれでいいと思いますし、多分トピ主さんが思ってる人達は言われなくともそう自覚してそうですけど…
少なくともその感情が創作に対しての向き合い方として間違いではないと私は思います。というか正解なんて無いですし。
もし評価が云々と嘆くのが見ていて嫌だというのなら自身が離れたら良いだけだと思います、それが多様性を認めるという事じゃないでしょうか
トピ主さんの書き方はそういう思考は「ネガティブでありマイナスであり愚か」だと一辺倒に考えて書いてるんだなあと思うので、そこは少し残念に思います
愚痴が鬱陶しいのは判ります、しかしトピ主さん過熱してるご様子なのでちょっと深呼吸なさってください……!
理想は仰るとおりなのですが、そこに到達する人は極一部です。多くはそこに辿りつこうとしない人や現実で問題がありできないですが、
その一部から到達できる人も現れます。その方達にまでまとめて強めの言葉を投げかけるのは、悲しいです
ID変わってるけど一つ前のアンソロの愚痴書いてた人と同じかな?文体が似てる。
あまり「これはこうであるべきだ」という考えにとらわれないほうがいいですよ。
あなたが正しいと思っていることがすべて正しいわけではないので。