みなさんが、萌の気持ちのほかにどのような感情を原動力として同人を...
みなさんが、萌の気持ちのほかにどのような感情を原動力として同人をしているのか気になります。
私はどうしてもHAPPYな気持ちで同人、および二次創作ができません。解釈違いに対しての、怒りのような、憎しみのような感情を原動力にしてしまいます。
所謂「作品で殴る」というような状況でしょうか…解釈違いにダメージを与えたい、危害を加えたいという訳でなく、、解釈違いを見たときのショックをそのまま原稿にぶつけている感じです…
精神衛生上あまり良くない気がしてなりません。
参考までに、ここにいらっしゃる皆様が、どのような心の持ち方で原稿に向かっておられるのか、教えて頂けると嬉しいです。
みんなのコメント
私は推しを幸せにしたい、幸せな推しを見たい、が今は原動力になってます。なので作風もよく言えば平和、当たり障りのない平々凡々です。
自分の萌えに対して誰かに共感してもらいたい、という気持ちが原動力です。萌え語りをするのが苦手なので「作品にしないと伝わらない」と思っています。
推しがマイナーキャラだと「私か書かないと」という使命感もあったりします。
公式で初期と続編でキャラの性格がブレて来た時は「私が書かないと、初期のキャラ解釈が消滅する」とか、ジャンルが下火になってきたら「皆が忘れても、私は絶対に推しを忘れない」とか、執着心が原動力になってる気がします。
そういう意味では、私もHAPPYな感情では書いてないです。
私は上の方に少し似てるかもです。萌え語りが苦手な上に照れ屋なので、ついついいつもそっけないツイートをしてしまいます。けど、作品にすると萌えてもらえて喜んでいただけているという手応えを感じてます。あと、私は自分の出す本がこの世で一番面白いと思っています(まあ、こんなことリアルでは言いませんけどね)自分が自分の出す本を読みたいからですね。あと、遠征した際においしいお酒と料理を頂くのがささやかな幸せです。生み出してる時は悩むし疲れるし、ちっともウキウキなんてしていません。けど、苦労して出した本は宝物だし、これからも続けていきたいと思ってますよ。
主さんと概ね同じ原動力です!仲間が居ました笑
悪い事では決して無いと思っています。
創作する原動力がネガティブなものでも、生み出してポジティブなものを得られたら勝ちかなと。
とにかく妄想を形にしたい!という気持ちでしょうか
自分よりも上手な方はいくらでもいますし、自分が二次創作をやめたところで悲しむ人はいないんですが、己の妄想は己の手でしか形にできないので…。
あとは単純に小説を書くこと自体が楽しいです。日々の潤いですね。
わたしはジャンルが変わると最初は読み専で入ってなんでも読み、自分の解釈が固まってくると今まで読めていた同人誌に「いやそうじゃないんだ」と言いたい部分がでてきて、その意見表明のために自分の萌えを形にして世に出していくという感じでいつも同人を書き始めます。
自分の書きたいことをまとめて1冊の本にする作業に没頭しているため、解釈違いを倒すという気持ちは無いのですが、やはり同カプの方をかなり意識しているとは思います。