私は誰かに赦されたくて二次一次問わず創作活動を行ってきました。 ...
私は誰かに赦されたくて二次一次問わず創作活動を行ってきました。
「君はこういうのが好きなんだね! いいね、これは新しい! 明日も生き続けてね(次作も書いてね)」という評価が欲しかったです。
でも実際は自分が思い描いたくらいのクオリティの高い作品ができはしないし、邪道として酷評をいただきました。
「誰かに赦されたくて創作活動を行う」というのは創作のモチベーションとして、”邪道”なのでしょうか。
みんなのコメント
いや?承認欲求目当てで創作やってる人いっぱいいるよ
珍しくも邪道でもなんでもない
別に邪道ではないけど、そういう考え方の場合、評価がもらえなければトピ主みたいに病むから「私は書きたいものを書く。誰にどう思われてもどうでもいい」という考え方の方が本人は楽しめると思う。
あと、htrだというだけで「邪道」という評価は受けないはずなので、トピ主はかなり尖った作品を書いてるのでは?と想像する。尖った作品を書きたいけど書けない!という相談はここでもよく見るから、そういう人に無い感性があるという自信は持っていい。そういうものってアンチがつく代わりにファンもつくイメージなので、ちょっと上手くなれば意外と褒められるんじゃないかな。
ありがとうございます
元気になりました
とりあえず練習と次の話を書くことに全力を尽くすことにします
「赦されたい」とは違うかもしれないけど、「自分の好きを肯定されたい」「君はこういうのが好きなんだね!私も好き!」の言葉は欲しいことあるな
自分の好きを創作してるけど、ニッチな性癖と思ってるから「いいよね~!」な同意があると嬉しい
モチベとしては邪道ではないと思う
作品に関してはわからないごめん
作品が邪道だと評価されたんであってトピ主の考え方が邪道だと言われたわけじゃなくない?
そういうの混同したまま創作してるとつらくなるよ
おっしゃる通り、勝手に二つを混同していました
気を付けるようにします
そもそも作品=自分じゃないですものね
同じような動機があって創作していた頃があったなぁ
許されたいという気持ちもあったし、キャラが好きだからという気持ちも両方ある状態ではあった。でも確実に、存在することを許されたいとは思っていた
多分邪道だろうなぁという自覚はあったけれど、周りが喜んでくれた。多くの人が感動した!とか感想を山ほどくれて、邪道でも周りが喜んでるならいいじゃんというとこに着地したな
やらない善よりやる偽善みたいなものかなと思ってる。何かを得られるのは存在しない正しい創作物より、存在する邪道の創作物だよ
若い時はそうだったなあ、辛かったなあと思い出しました
まったく間違いではないし、それで少しでも楽になれるならいいと思う
ただ、いつか書かなくても自分は存在してるだけでいいし、作ること自体を楽しめるようになれるといいね。そう変わるのは難しくて私もまだ途中だけど、作品の評価は自分の評価ではないと思うようになってからの方が生きるのが楽になったよ
ありがとうございます
変わるのは簡単なことじゃないけれど、一ミリでもいいので進んでいるという自覚をもっていきたいと思います
コメントをする