すごく美味しい牛は食べるために育てられたから美味しい。 じゃあ...
みんなのコメント
家畜は品種改良されて美味しくなってるけどそれは家畜が望んだことじゃないで
人間は個人の努力次第でどんだけでも上手くなるやで
作品を美味しくいただく為に神作家をちやほやして推しカプ界隈に引き込みます
興味を持ってもらう為に私も作品を作らなくてはいけなくて大変だけど神の作品が投下されるとそんなこと吹っ飛ぶぐらい満たされます
ある意味あってるけど最初から家畜として生まれてくる生き物と自由に生きる選択肢が用意されてる人間は比べられないからそれは違うよと言っておく
競馬とかだと足がトロくて遅い馬でも、調教師が頑張って育てて色々教え込んだり、走るやる気を引き出してあげたり、あとは乗る人の操縦スキル次第では大きいレース勝っちゃったり……とかあるらしいし、
ど下手くそダメ絵師も、敏腕調教師と化したROMたちが毎日褒めて絵師のやる気引き出してあげて練習させて、偉大なる神絵師に育てたり、
敏腕ジョッキー的カプ民たちが絵師をおだてて練習に駆り立てたりして育てていき……なこともできるかもしれんね。深夜だから自分でも何書いてるのか訳分からんけど
絵の上手い人は家畜じゃないし、
あなたは何のために生きてるの?
に発展しそうな議論は不毛だからやめようぜ。
サイコパス…!
肉牛は肉牛になる意思はないしそのことすら知らないし、知ろうが逃れられないまま人に食わされて体を育ててるだけで、
人は他人がそれに特化した英才教育を恣意的に施したからって、それに気付かない訳がないし、拒めるし、最終的に絵師になるかを選ぶのは本人と言う生きものですわ
さらに絵師は肉牛のように人が食わせれば肉がつくものでなく、学んだことを生かして研究していく力や、何を描きたいかテーマをもつことや、それによって自分で生きていく社会性が必要ですわ
肥えた肉牛が、人間の作った柵を越えて美味しそうな牛として生きていくのは不可能なんですわ
「美味しくなるために育てられた牛は美味しい」≠「野生の牛はまずい」
そもそも牛と絵師を同じステージで考えるのがおかしくない?
これは、芸術家が牛に例えられるという事実に、なぜかうんざりしている私を笑わせた。 芸術家は育ちません。 生まれつきの才能を持って生まれ、それを磨きながら成長するのは彼ら次第です。 私は他に芸術家の家族がいない人たちを知っていますが、彼らは絵を描いたり、絵を描いたりするのがとても上手です。 根がいいということではないと思います。 それでも、家族から支援を受けることは望ましいことです。
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