小説は才能によるところが大きいと思ったことはありますか? また...
みんなのコメント
その場ですぐにわかりやすい文章を作る力は生まれつきの素養と幼い頃の環境に寄るのかなとたまに思いますね。直接話しても、文章でやり取りしても、どうにも話の内容がまとまらない人や情報を省きすぎる人がいるように思います。やり取りを重ねれば分かるのですが、迅速に適切な情報を伝える能力と言うのは限られる気がしますね。小説はリアルタイムのやり取りでは無いので、推敲を重ねれば伝えたい内容を整理することももちろん可能ですが、そういった瞬時の文章構成力のようなものは、読ませる小説を書く上でプラスになるのではないかと思います。
これ。知っていても、このシーンにこの言葉を使おうって取捨選択できるセンスはなかなか真似しようと思っても真似できない。
思う。才能というかそれなりの頭の良さと論理性、語彙力が必要で、それは生まれつきや家庭環境による部分が大きい。もちろん例外はたくさんいるけど、処女作がドヘタで徐々に上手くなる人より、処女作から上手い人が多い。
二次創作のウケの意味だったらまた別で、何が求められてるか?が分かればそれひど文章力なくても大丈夫だったりするから努力でなんとかなることもある。まあそれでもぱっと書いてぱっと評価される人もやっぱり多いけど。
才能というか頭の良さは影響する。頭悪くても書けるけど、頭悪い客しか釣れない。頭がいいと読者に合わせて目線を上下できるから客を選べる
幅広くインプットできる才能。
あと、それを読者に向けてアウトプットできる地頭の良さ。
書き手の引き出しが少ないと焼き増し感のある話が多くなるし、アウトプットする際の語彙力や表現力がなければトンチンカンになりがちだと思ってる。
ストーリー構築に必要な思考の深さやバランス感覚は持って生まれたものが半分あるかなと思います。
ただし、もう半分は環境や努力で積み上げるものなので、いわゆる才能、センスだけでは良作になりません。
文章力とか構成力、語彙力は後から磨けるけど、ネタ、つまりストーリーを思いつく力は生まれつきで、後天的だとしても小さい頃に見たり聞いたりしたもので決まってると思ってる。書きたいものが迸りすぎて、文章ぐちゃぐちゃて読みにくいタイプは磨けば光るかもしれないけど、書くネタが思いつかないとか書いてみても続きが思いつかなくてすぐ詰まる人は神字書きになることはないだろうなと思う。
日本語が話せても漫才師になる人は一握りだし、日本語が書けても小説家になる人は一握り
言葉というものに対する才能というか、何かしら秀でたものがなければ話者や筆者になるのはそもそも難しい
また才能を伸ばすのは遺伝だけじゃなく努力も必要だし、努力だけじゃなく遺伝も必要
自カプの大手字書きさんは処女作から面白かった。
最初から何万字も書ける、ストーリーを作るのは才能だと思う
フリースクール的な所でバイトしてて小中学生の作文読んでたんだけど、学力に関係なく文章の上手い下手はあるよ。
国語の成績良くても文章が回りくどい、成績悪くても読みやすいなどなど、これは生まれつきのセンスと読書量だと思った。
でも本当に文章が上手い子ってなると全く別で、「作文なのに面白い」んだよね、読ませてくる。
これだけは完璧に天性の頭の良さか何かだと思う。
・キャラの魅力を最大限に引き出す台詞の応酬
・緩急つけた飽きのこないストーリー展開
・ありきたりな王道ストーリーの中でも光る独創性
この辺は本当に作者の才能で上手い人とそうじゃない人がハッキリ分かれると思う。この3つの才能ある人は埋もれない。文章が下手くそでも技術磨いたら確実に化けるから、htr評価はされてないと思う。下手なのにブクマついてるんだよね、それもかなり。って人はだいたいこの3つが突出してる。記憶に残りやすいんだよ。周りと被らないから。
私
・キャラの魅力を最大限に引き出す台詞の応酬
がめっちゃ苦手なんだけど、
上手い人ってっぽいセリフの中に独自性があるよね。
っぽいセリフなんだけど、『多分これ書いたのあの人だろうなぁ』って思わせる何か
私も苦手。何回も台詞を書いてると、会話じゃなくてぶつ切りの文章を口語で書いてるだけみたいになってきちゃうから会話のバリエーションがないんだなと毎回痛切に感じる。
上手い人はAが言った、Bが言ったってどこかで補足を入れなくても
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こんなカギ括弧続きでも誰が何を喋ってるのかわかるんだよね。しかもその会話でストーリー進行までさせてくるから凄いと思う。これはマネしようと思っても中々出来ない物凄い感覚がいる技術だと思う。
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