自分の二次創作行為のあり方について少し思うことがあるのでここで吐...
自分の二次創作行為のあり方について少し思うことがあるのでここで吐き出します。
今自分は腐の二次創作(絵がメイン、ほんの時たまSS)をしています。これまでも絵は10年近く、推しを描きたいという元気なオタク心で描いてきました。しかし、その時その時で思いついた浅いネタを描くくらいで、一貫した自分の作品観や、このカップリングではこのテーマを突き詰めていきたいというものはなく、作品を作りたいという意欲もそこまで強くはありませんでした。
しかし、半年ほど前に今のカップリング(便宜上ABとします)にハマってからは、ガラリと変わりました。自分のAB観を突き詰め、その中でも特定のテーマについて深く掘り下げていきたいと思うようになりました。以前のように「まぁ絵を描くのも推しを描くのも楽しいから」という理由だけで絵を描くのではなく、「自分の妄想を作品という形にする為」という意味合いで描くようになりました(ABにハマってからssも初めて書くようになりました)。
そして何より、「どうしてもこの妄想をアウトプットしなければ自分が爆発してしまう」というようなある種の切実さを持って創作するようになったのです。
ところで少し話はズレますが、私は一年半程前に親しい人を亡くしました。突然の事で、何よりその命の失われ方の衝撃から、自分の人生観をも揺るがすような出来事となりました。現在はだいぶ冷静にその人やその事について考えられるようになりましたが、それでも未だに死や生について答えの出ない問を繰り返しています。
そんな出来事があった後にハマったABは、Aが先に死んでしまう、所謂死別カプでした。
そして自分がABのテーマとして突き詰めて考えたいと強く思っているものは、死ネタです。もっと言えば、Aに先立たれたBがAの死を受容していく過程や、Bと死んでしまう未来が待っているAの幸せだった一時など、原作の行間を埋めるような妄想をします。
勿論、全部の妄想や作品の全部あからさまな死ネタではなく、明るいものも普通に描く(書く)のですが、突き詰めたい大きなテーマは死ネタなのです。
自分がABにハマったのも、このような創作傾向にあるのも、上述した自分の実体験が影響しているのだろうなと思います。もっと言えば、死んでしまったAに死んでしまったあの人を投影したり、Aに先立たれたBの気持ちを考え作品にすることで自分自身の気持ちを昇華しようとしているのかもしれない、とも思います。創作活動へ取り組む気持ちが以前と比べようもないほど強くなったのも、全て自分自身の何処へもいけない想いを昇華する為なのかもしれないです。
今までROM専ではありませんでしたが、創作する側の人間と言える程でも決してなかったので、明らかに「創作する人間」になったのはこの沼に来て初めてです。なので、自分のこの創作への思いや意欲などが単なるBL二次創作活動の在り方として重すぎるものなのか、それとも「創作する人間」側の方達は何かしら似たような強く深い思いを持って創作をされているのか、分かりません。
文字書きさんでも絵描きさんでも、創作される方々の、創作活動の原動力や創作する事への想いなどをお聞きしたいです。
みんなのコメント
一次メインで、時々カップリングでないライトな二次創作をしていた字書きです。
最近、どハマりしたジャンルがあり、今はその公式カプの二次創作をしています。
一次では、「わたしにしか書けないものを形にしたい」「書かないことが苦しいから、書いて少しでも楽になりたい」という、トピ主さんに近しいような切実さで長年やっています。
純文学とかアートに近い領域で、ほどほどに評価され、似たような友人たちにも恵まれて、苦しいながらに楽しいです。
逆に二次創作はそこまで明確な意欲がなく、どちらかと言うと「もったいない」の精神です。
頭に浮かんだからには、きちんと言語化したいなとか。
そう言...続きを見る
トピ主です。コメントありがとうございます。
やはり創作される方にはそれぞれの切実な「作品を生み出したい、或いは生み出さなければならない理由」があるのですね。もっと言えば今までは自分の中にそのような強い理由や思いはなかったので、ようやく私も「創作する人間」としてのスタートラインに立つようになったのかなと、あなた様のコメントを拝読して思いました。
身近な人の死に直面することで自分の価値観が揺らぐ経験にも共感して頂け、(このような言い方は少し違うかもしれませんが)嬉しいです。
喪いたくない人を失うことは大きな悲しみと衝撃を自分に与えるものでしたが、それをきっかけに以前の自分とは違う世界の捉...続きを見る
二次創作で絵と漫画を書いています。
私も現在死別カプが好きで歴代推しカプもほとんど死に別れています。
生と死については昔から多くの文学の題材となり、また宗教、哲学の分野で思索されてきました。そういった文献に触れつつ原作と推しカプを考えることは私にとって世界と自分が一つに繋がる豊かな時間です。
また、ストーリーを考える上ではキャラクターの行動と性格、原作の出来事を自分の経験や感情と照らし合わせながら探っていくので、嫌でも自分と向き合うことになります。
推しカプを描くことで自己分析というか、精神統一を図っているのかもしれません。トピ主さんの言う様に自分の中の解消されない想いを昇華しよう...続きを見る
トピ主です。コメントありがとうございます。
"推しカプが好きな気持ちと自己分析、精神的な休息と救いの為に二次創作"、まさに今の自分の創作のあり方と全く一緒だと思いました。
創作を通じて自己の内面と向き合うことは、自分の存在や世界について深く考えることに繋がる自己対話になるので、(時には自分でも知らんふりをしていたような心の柔く脆い部分まで暴いてしまい苦しむこともあれど)己の精神を豊かに耕すことになりますよね。もちろん、好きなカプについて考えることで心の休息にもなるし、自分の気持ちを昇華する救いにもなるし...共感しかありません。
また、自分の創作行為がアートセラピーになっているという...続きを見る
自分が今のジャンルで活動してるのは「このキャラを救済したい、幸せにしたい」というのが原動力です。
自分の推しは悪役キャラで破滅的な事態になって物語から退場するのですが、その後は描かれていないので、二次創作で救済したいと強く思って描き始めました。
社会人として、組織に飲まれて自分が望まない振る舞いをする羽目になったり上から理不尽を押し付けられたりすることに直面してきたので、推しの境遇に自分が重なる部分があったのが、救済したいと強く思った背景だと思います。
キャラが悪役とはいえ本人なりに頑張ってきたことも表現したくて、原作の隙間のネタもいろいろ想像して描いたりしています。
なぜ悪役の立場に...続きを見る
私は字書きで、基本的にキャラ達を幸せにしたいという気持ちで書いています。
それは裏を返せば自分が幸せになりたいということなんだと思います。
自分にとって書くことはセルフヒーリングのようなことなんだと思っています。
それは二十歳ぐらいの頃からずっと自覚して書いています。