小説の表現について。 ここ1,2年で今のジャンルにハマり、今ま...
小説の表現について。
ここ1,2年で今のジャンルにハマり、今まであまり読んでいなかった二次創作小説も読むようになりましたが、気になることがあります。
田中は
「おはよう」
と言った。
田中は「こんにちは」と言って去った。
↑このような表現が多用されている小説についてどう思われますか?かぎ括弧と~と言ったという文字が続くと、あまり小説を読んでいる気がしません。うまく言えないのですが…。
こういう書き方の字書きさんはうちのジャンルでは大手扱いです。確かに読みやすくてわかりやすいとは思いますが、なんだか幼稚に感じてしまいます。皆さんのジャンルの大手字書きさんも似たような感じですか?
みんなのコメント
自分は技術的に下手でも内容が良ければいいので、同じように考える人が多いのかな?と思います
絵が下手でも萌える漫画があるのと同じ感覚です
自ジャンルの大手でもそういうレベルの人はいます
もしかしたらジャンルの年齢層によってはそういう文体の方がウケるのかもしれません
ト書きっぽいってことですかね?
二次創作は文体よりも中身重視、どのキャラが何をしているのかがわかればいい…という人が多いと思います
わかりやすい文章=多くの人が内容を理解できる、内容の好き嫌いを判別する段階に到達できるということで大手になりやすいと思いますね
自CPの大手はト書きではないですが平易でわかりやすい単語を用いた読みやすい文章で、長くても疲れずに読めます
読者層によってはそういう書き方が好まれるジャンルもあるのかも?
中高生が多いジャンルだとLINE系やちゃんねる系小説みたいな会話ベースの作品が人気なので、それに近くて読みやすいのかもしれません
文章が切れてて変だ、ということでいいでしょうか?
「おはよう」
田中が言った。
なら変じゃない、ということかな?と理解しましたが、小説で文章を切ってはいけないというルールもないです。日本語としては変に見えるんですけどね。
小説の文体は日本語ルールからしてみると変なものが商業にもいっぱいありますが、それでも伝わって面白くて買ってもらえるなら良いわけです。
ましてや二次創作なら、萌えれば全てよしです。
小説には正しい日本語はそもそもそんなに求められてないと思うと楽かもしれません。日本語のルールなんて時代と共に変わったりもしますしね。
いるかいないかなら、多数派ではないですが自ジャン...続きを見る
台詞の処理の仕方はいろいろありますが、そのうちの一つですね。
サン=テグジュペリの『星の王子さま』はほとんどこのやり方でお話が進みます。
作品のテイストにあっていれば問題ないです。
技術的に劣っているのではなく文体の違いなので、それがウケるかどうかはジャンルによって異なるかと思います。
下手でも他の魅力があったり、逆にそういう書き方が好まれるジャンルなのかもしれないですね
内容が理解できればいいという読者が多いのかもしれません
自ジャンルにも正直文章力は低いけどネタでかなり評価されてる人はいます
アマチュアの創作なんてそんなものだと思っているので自分はあまり気にならないです
みなさんありがとうございます。
例が少しわかりにくかったかもしれませんが、登場人物のほとんどのセリフの前後に「〇〇は『~』と言った。」という言葉が入るのが煩わしいなと思う、ということです。文体の違いと言われれば確かにそうなのですが、かぎ括弧に入っている時点で言ってるのはわかるし誰が言っているかは流れで読んでいればわかるのに、どうしていちいち入れるんだろうと思いました。
Aは「君の指摘した通りだ」と呟くと椅子に深く腰掛けた。
上記のような文(テキトーです)は直木賞系統の作家さんに多く見受けられる気がします。
会話文が続き台本のようになっている場合、または地の文が続きすぎて読みにくい場合にアクセントとして用いている印象を受けました。
私は商業を読んでトピ主さんの言及なさっている文章の書き方を取り入れたのでこのトピを読んで驚きましたが、もしかしたら二次創作によく見られる特徴的なセリフの処理だったりするのかもしれませんね。
すみません追記読みました!
ほとんどのセリフがその処理なのは少し面白いですね。天井取った方の書き方をみんな追従しているのではありませんか? 初めて二次創作をはじめた人が多い界隈では、参考にする対象が天井を取った作品となり似ているテイストの文体が多くなったりします。同じような伏線回収の仕方をしていたり倒置法がやけに多かったり体言止めブームがあったり、romから字書きになった人が多い界隈には流行の文体があると思いますよ。今回はそれがトピ主さんに合わなかったのでは?
・なぜそういう書き方をするのか
その人はそれがいいと思っているから、そう書かないと伝わらないと思っているから
・稚拙な書き方なのになぜ大手扱いされるのか
稚拙さを補って余りあるほどの魅力があるから、またはトピ主さん以外の多数の読者にはその書き方が合っているから
例文で言うと
「おはよう」
田中はこちらに向けて手を振った。
なら問題無いってことですよね。
わかる~~!
「~と言った」なんてわざわざつけるくらいなら、それなら地の文無しで台詞だけ並んだ方が読みやすい。
たまにならそれこそアクセントでしょうが、多用されると文字数の嵩増し感があって私も好きじゃないです。
ただ他の方が言うように二次創作の場合は文章力よりネタ(萌え)が優先される傾向が強いので、大手とかは気にせず自分の好きな文体の書き手さんの作品を探すしかないかと思います。
なるほど、勉強になります…私の感覚が少し変だったみたいですね。気にせずに読むことにします。みなさんありがとうございました。
タイミング被ってしまいましたが、同意してくださった方もありがとうございます。
こういう文体は変だ、と自分の中で決めつけてしまっていたようです。自分に合う作家さんを探します!
十○国記とかほぼこれなんじゃ…?
他にも芥川賞作家、直樹賞作家の作品でも確認してるけどコレをト書き、LINE風、変な小説認定する方が結構いることに驚いてしまった……補足も読みましたが……衝撃。
正に同じ事を思ってたので横失礼します。
ちょうど十◯国記を読み返してたところで、トピの質問に何か変なの? と思ってました。
たぶんトピの質問はセリフごとに毎回 ◯◯は〜と言った。っていう文が続いているのかな、と勝手に思いました。さすがにセリフがある度に繰り返して同じ ◯◯は〜と言った。という処理では確かにくどい気はしますし、商業小説ではほぼ見かけないです。児童書とか、翻訳ではあるかもしれないですが、気にならないので上手に処理されているのかも。
トピ主さんがあげられているようなセリフ処理の仕方は、翻訳小説を好んで読む方に多いですね。洋書を見てもらうとわかりますが、英語圏ではセリフのあとに「○○は言った」という書き方がメジャーです。
セリフの処理のひとつなので私は特に気になりません。
翻訳物に親しんでいると、そういう書き方が増えるかもしれないです。
単純に「〜と彼は言った」と書かれていることが多いからです。
会話の応酬もいちいちその形式ってこと…?
Aは「りんごとみかんどっちが好き?」とBに聞いた。
Bは「りんごかなあ」と答えた。
A「私はみかんが好き」と返した。
Bは「みかんもおいしいよね」と言った。
Aは「今度買ってきて食べよう」と言った。
みたいな?
これ!!!です!!私が言いたかったのはこれです!!!ここまで極端ではないですが!!!
田中は
「おはよう」
と言った。僕は
「おはよう」
と返した。田中は「顔色が悪いぞ」と言ったので、僕は
「そんなことないよ」
と言った。田中は笑いながら「保健室に行こう」と言うので、僕はそれに
「大丈夫だよ」
と返した。
みたいな感じです。ちょっとうまく表現できませんが、こういうのがずーっと続くのが普通なんでしょうか…
そうなんです、内容は面白いと思います。起承転結もありますし萌える展開なんです。でもどうしてもこの書き方が気になって集中できないんですよね…。
あんま違和感ないかな。
上のコメも読んだけど、どちらかというと大正〜昭和の文豪とか児童文学、翻訳小説でよくある正当な文体な気がする。近代文学ではないけど。
「幼稚っぽい」って言われてるのは新見南吉とかその辺の作家が小学校の教科書に使われてるから且つ児童書がこういう文体だからかな。
違和感を覚える大人がいるのは分かるけど、文章構成力がないわけではないと思う。むしろ書く力がある上での個性の範疇だし、この罵詈雑言の中で言い出せる人が少ないだけでこの文体を好きな読書家も結構いそう。
幼稚っぽいと言われてるのは「~と言った」以外のセリフ後の処理が思い付いてないからじゃない?書く力がある上での個性の範疇って、妄想が過ぎる…普通の二次創作書いててそんな文豪いないよ。
あと近代文学は明治~昭和ね。あなたが言いたいのは現代文学。中途半端な知識ひけらかすのやめなよ。
こんなのそうそう見ないし見かけたら即ブラウザバックする
A「おはよう」
B「もう朝じゃないぞ」
A「また遅刻しちゃった」
〜放課後〜
A「よく寝た」
と同レベル これも即ブラウザバック