攻めから受けへのクソデカ感情が苦手なんですけど、なんでこんなに人...
攻めから受けへのクソデカ感情が苦手なんですけど、なんでこんなに人気なんでしょうか……
ここで言うクソデカ感情は例えば受けが好きすぎて独占欲がやばいとか、自分たちの障害になるものを受けが気づいてないところで勝手に排除してるとか、受けをソフト監禁してるとかそういう描写です。
いくら愛があっても同意があっても、そもそも挿れる行為自体に加害性があると思ってて、そのうえ感情の比重まで攻め→受けだとあまりにも公平性がないというか、攻めが加害者すぎないか…?と感じてしまってどうしても苦手です。
自分は受けが攻めにメロメロで、攻めはむしろ若干引いてるくらいのが好きなのでずっとそういうのを描いているんですが、どの界隈行っても逆のほうが大手だから見渡すかぎりの同カプ解釈違いに囲まれがちでつらいです。
ここなら同じ気持ちの人もいるかな…と思ってスレ立てしました。
逆に、攻めのクソデカ感情が好きな人はそこのところどう感じているのかも気になります…
みんなのコメント
創作の中で筋を通すっちゃう話やね。割と大事な感覚やで。
愛さえあれば許されるって映える構図で罪をなあなあにする展開は、もう通用しないんよね。令和じゃけん。
クソデカ感情攻め様がモラルの一線を越えたら、それはもう恋愛作品ではなく暴力作品になってしまうんよ。
愛情が暴走する過程を描写して読み手が同情できるようするのは当然なんだけど、
令和になってからは「同情しても罪の精算にはならんで」っていう話が増えたな~って思う。
だからトピ主のクソデカ感情無罪への苦手意識は、割と世相に沿っているような気がするとよ。
攻め様だけじゃなくて受けくんでもノンケ追い回してるように見えて、入れてもいいよってしてたら気持ち悪いし性犯罪だって…
結局受け厨共って受けが常に甘やかされてるのを望んでるだけじゃねーか
何挿入が加害性どうたらとキモい事言ったり惚れた方が負けを本気で信じてるんだよ
このトピ主、今でもどの界隈行っても「受けが攻めにメロメロで、攻めはむしろ若干引いてるくらいのが好きなのでずっとそういうのを描いている」のかなあ…
もういろいろ意見が出ててアレですが
推しに対する自己投影含めて描き&書き手はクソデカ感情もってるから、
カプ相手にも同じようにクソデカ感情をもって推しを愛してほしいんだと思ってた
少なくとも自分がそう
推しの配置がジャンルごとに左右違うから
わかりやすく感情矢印の向きが変わる
だからトピ主さんの攻めが引くくらいのドデカイ矢印が受けから向けられるのが刺さる!というの痛いほどわかる
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