小説で、科学者が残したレポート(or日記)の情報から敵の正体を探...
小説で、科学者が残したレポート(or日記)の情報から敵の正体を探るシーンを入れたいのですが、作中でレポートの全文を入れると読みにくさを感じますか?一人称が変わってしまうため心配しています。レポート本文をそのまま書くのではなく、その場にいるキャラに読ませ、かいつまんで説明させる方が読みやすいでしょうか?敵の正体や現れた経緯の詳細を含めると最低でも文庫本約5ページ分あります。
みんなのコメント
それまで没入感が強いならばキャラに読ませず全文載せます。
厳しそうであれば無理にレポート全部に担わせずにそれ以外のところで断片的に状況を把握させ、キャラに推理させる+レポートで確信させる…みたいなのはいかがですか?
レポートだけだと情報が集中してしまって単なる説明になってしまうし読んでる方も楽しくないので、レポート、日記、走り書きのメモとか分けて展開するのどうかなぁ
複数キャラクターがいるならそれぞれの見せ場を設けられるし、情報を整理する推理するシーンとか入れてみても面白そうだなって思う
その場にいるキャラに読ませた方が分かりやすくない?
場にいる人間関係の描写もできるし、かいつまんで説明の方がいいかな
ミステリーとか謎解き風なら全文載せる
そうでないなら載せない
全文載せるならシャーロック・ホームズとか参考になるんじゃないかな
これはレポートだとわかるように書いてあれば、人称にこだわる必要ないです。
あった方がリアリティや説得力、没入感が増すと思うので、自分ならレポートを載せます。ただし、必要なところまで。
日記(航海誌など)や新聞記事の切り抜き文が物語の冒頭や終盤にある小説は結構ありますし、研究員のレポートも珍しくないです。
たとえば夢野久作はドグラ・マグラで外道祭文を全文創作でポンと載せていたり、悪魔祈祷書ではいわくある本の文章を目の前にあるかのように具体的につらつら読み上げてますし、十代の少女の事件の話では新聞記事を効果的に使ってますよね。
あ、5ページは長くないですよ。
もしミステリで謎解きに必要なら、かいつまんで説明だと読み手に対してフェアじゃない気がしますね。
実際にレポートの文章を読んで、読み手の自分も先の展開や犯人を予想したくなるので。
全文通して載せることに意味があるなら別に読みにくくはない
例えば敵の正体は後半に書いてあるんだけど、途中途中伏線になりそうなネタが仕込んであるとか
あるいは正体に辿り着くまでの過程が丁寧で、読み進める毎にそれが詳らかになる快感を一緒に味わえるとか
そういう意味が無いなら5ページにも渡って虚無を読まされることになると思うので
別に読みにくくは無いけど要らねーなって思うかな
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